あくつけき

日記みたいな

小説【STE】第一部「ディベート」

【序章】
 
「"STT"を結成しようと思うんやけど入らへん?」
 
「その、STTっていうのは何?スーパー高木タイム?」
 
「サークル。神聖高木帝国、略して「STT」。俺らも大学に入ってからもう前期が終わろうとしてるやん?俺も天パも高木もみんなそれぞれ別のサークルに入ってはいるけど全然掛け持ちもできるし、よくない??俺達のサークルってヤバない?ほしない?」
 
「欲しい!」
 
「やっぱラーメンにはにんにくやな」
 
「やろ?天パならそう言うと思ってん。てかこのSTTっていう名称もええやろ?神聖高木帝国やで?そんなん絶対おもろいやん。まぁ別に特に活動内容を決めてるわけじゃないけど、とりあえず初めは各々企画を持ち寄って数の暴力でそれ実現できたらええかなって思ってんねん」
 
「いいね〜♪結局大学に入って知り合った雑多な人間とそういう「これがしたいね〜」みたいな話は良くするけど盛り上がるだけ盛り上がって結局誰も企画しなかったりですぐ流れてしまうしな」
 
「そう!そうやって時間がないと言い訳ばかりして何もしないバカどもと決別し、俺らで新たな帝国をつくんねん!!」
 
「でも、STTって微妙じゃない?なんで神聖高木帝国が全部ローマ字にした頭文字なん。どうせ頭文字取るなら英語にしようぜ」
 
「なんでや神聖田所帝国かっこいいやろ!!」
 
「あ、Sacredや」
 
「は?」
 
「だからお前らも見てるだろ、深夜アニメのセイクリッドナイン…!セイクリッドの訳は神聖で間違いない」
 
「おお!!つまり神聖は英語にしても頭文字がSなんか!」

「おおおおおおじゃあ帝国は!?」

 
英語の偏差値35の脳みそじゃ無理だと携帯に「帝国 英訳」を打ち込む。
 
「エンパイア…!!エンパイアステートビルのエンパイアや!!つまり」
 
「Eか!STE。あ、これSTTでTが並ぶより良いかもしれん。」

「つまり神聖富野帝国、Sacred Tomino EmpireでSTEか!決まりだな!!」

高木がわけのわからない事をいったところで名称は決定。この時はあいつがあんなことになるなんて思いもしなかったんだ…

 
【はじまり】


真田智久はパソコンに向かっていた。

 

〜「無理だよ。だって僕は、君とは見え方がちがうのだから」fin. 〜

 エンターキーを叩いた指が少し震えている。高揚感からだろうか。ふと画面の隅に目をやると、深夜2時の文字が無機質に表示されている。コーヒーを淹れに席を立ったのが21時頃だったから、四時間程度ぶっ続けでキーボードを叩いていたことになる。ずっと画面を見ながら叩いていたはずなのに過ぎ去る時間を忘れていたなんて、やはり文章を書くことが好きなのかもしれない。さて、こうやって大学に入って初めて自分の小説を書き終えたわけだが、校正作業はどうしよう。自分でやっても良いんだが、できれば他人にしてもらったほうが誤字脱字を適切に直して貰えそうだ。 

「ユイさんにでも頼んでみるかー。忙しいかもしれないけど、俺より本を読んでる人だし信頼感あるよなー」 

 そんなことを呟いていたら急に眠気が襲ってきた。風呂に入っておいてよかった。 そのまま、初めての創作物を書き終えた、達成感と少しの恥ずかしさが入り混じった不思議な多幸感に包まれて眠った。 

 

 てろりんてろりんと三度目のマヌケな音がけたたましく鳴り響く。アラームの音にはいつも殺意を覚えるが、別に携帯を壊してしまえるほど冷静さがないわけもない。スヌーズを切り、スウェットのまま冷蔵庫へと向かう。 粘着く口内にミネラルウォーターを流し込み、歯を磨く。眠い。いつもならここで眠気覚ましにコーヒーを淹れるのだが、今日は寝過ごしてしまった為にそんな時間はなさそうだ。ジーンズに、大きめのドクロが入ったトレーナーを着て家を出る。それにしても眠い。今日はBMWを使わず、電車で向かった方が賢明だろう。

 最近買ったばかりのSHURE SE535を耳に押し込み、ザ・ブルーハーツの青空をかける。イヤホンを変えてから今まで聞こえなかった音が聞こえるようになって楽しい。大学の最寄り駅までは少し遠い。1限に向かうのにちょうどいい時間だから途中で知り合いが乗ってくるだろうと思っていたら、女子校の制服を来た生徒が一人、乗り込んできた。大学の授業は九時から始まる。この女子高生は遅刻者なんだろうな、と少し訝しがりながらも「こういうはみ出し者は小説のネタになるかもしれない」とバレない様に少し眺めていると、何故か口角の辺りが少しひくついている。スマホをいじってはいるが笑いを我慢しているかはわからないが、少なくともスマホが面白いわけではなさそうだ。じゃあなぜだ、変な乗客でもいるのかと、女子高生の向かい側に目を向けてみる。そこには、満遍なく「いろはにほへと」のひらがなが描かれた白いパーカーを着ている20歳そこいらの男が座っていた。腕を組んではいるが背中が丸まっていて、なんともみすぼらしい。なるほど、これは面白い。ファッションにはまるで興味がないが、この服装をしている人間が頭おかしいことくらいはわかる。耳なし芳一を初めて見た一般人もこんな感情を抱えたのだろうな。

「高木、お前何そのカッコ」

「おおドヤか。何、アカンか?最近絹さんとか持田がおっしゃれな服ばっか着てくるから俺も負けてられないと思ってな」

「遠回しにあいつらの事馬鹿にしてるやろ。まぁその姿勢嫌いやないけどな」

「ちなみに中のTシャツはぬのTシャツやで」

 そう言って高木がパーカーをジップを下ろす。言うとおり中のTシャツには「ぬ」の文字が整然と、はならんでいなかった。配置には何の意図も読み取ることができない。「ぬ」というひらがなを覚えた幼児がチラシの裏にひたすら書きなぐった、そんな模様だった。ちなみにこれはマンガの中の物が商品化したものらしい。

「あの、さぁ…」

 
 ほとほと呆れて声も出ないとなったところで、ふと先ほどの女子高生に目をやると、彼女はイヤホンをつけていた。話は聞いていなかったようだ。しかし、こちらの視線に気づいたのかちらりと一瞥した際に「ぬ」のTシャツはしっかり目に入ったらしい。先ほどの含み笑いとは打って変わり、完全に引いた顔をした後、電車が駅に着くより先に席を立ち、駅へ降りた。
 
 
 
【それぞれの遅刻】
 
 

 四角い天板の中心に丸いケーキ焼型を置く。天板の厚さはおよそ二センチ程。そこに沸騰したお湯を一センチ程注ぎ込んでいく。以前はヤカンからそのまま注いでいたけど、一度焼く前の生地に誤ってお湯を入れてしまってからはコーヒーを淹れるためのドリップケトルで入れるようになった。一度に入るお湯が減る分事故も少なくなった、はず。この前は生地をそのままひっくりかえしちゃったりしたんだけどね。バカは死ななきゃ治らない。あれ、関西だとアホとバカ、どちらが酷い言葉なんだっけ。

 そんな事を思い浮かべながら絹谷ハルはオーブンレンジの扉を締めた。バタンという音が鳴り始めのスネアドラムに似てて少し気持ち良い。後は180度のオーブンで20分程焼いて冷蔵庫に入れるだけだ。時刻は13時を少し過ぎた所。取り掛かり始めてから30分もかからずにオーブンにつっこめるようになるとは、工程の少ないチーズケーキとは言え、成長したものだ。あの子がうちにくるのは四時頃になるはずだから、その頃には気持ちよく完成するだろう。高校生の頃、「お菓子作りができる男は無条件でモテる」と勘違いしてからというもの簡単なお菓子を作るようになった。邪なきっかけから始めたことではあるが、今となってはガトーショコラとかチーズケーキくらいならレシピを見なくても作れるようになった。高校生の時は結局まるでモテはしなかったが、大学生になって悲願を成就したというところだろうか。

 一度こぼれてしまうのではないかというくらいに膨れた後、しょぼしょぼとしぼんでいく生地を眺めながら絹谷は今日来る女のことを思い浮かべた。大学生のマナは、絹谷とは違う大学に通う二回生だ。サークルの、他大学との合同練習でナンパした女の"友達"だ。合同練習と言っても初心者までいるテニスサークルではそんな真剣な練習などあるはずもなく、もっぱらみんなめったに知り合えない他大学との交流がメインだった。交流自体にそんなに乗り気では無かったが、夏が近い6月後半のテニスコートは長時間立っていられるものでもなく、俺自身てきとーに喋っている女子集団の方へ脚が向いた。

 中でも目に止まったのが、ベンチに座っている三人の集団。中でも腕まくりしたダンガリーシャツにキツ目の黒いスキニーを履いた女に目が行った。地味めなメイクをしてはいるが綺麗な二重まぶたの顔は間違いなく美人の部類に入るし、なおかつ日傘を差していたからだ。日差しの元に行われるテニスではコート外での紫外線対策がとても大事だ。昨今の強い日差しは皮膚がんのリスクを高めるし日傘くらい持ち歩いてもなんら問題はない。しかしテニスとなっては話は別だ。なぜなら、ラケットと日傘を同時に持ち歩くのはそれなりに面倒だからだ。斜めがけができるとは言っても硬式のテニスラケットはかさばるし、そもそもコート外では日傘でコート内ではラケットって何なんだ。常に棒状の物を持ってないと満足できないのか。フロイト的に言ってしまえばただのニンフォマニアじゃないか。と色々と言いたいことはあるが要するにテニスコートのベンチで日傘を差すような女の目的は「彼氏の付き添いor良い彼女やれてます自慢」か「友人との雑談」か「男目当て」とだいたいの目星がついてしまうのだ。まぁやたらキョロキョロしている上、話しかけてくる男達にやたら愛想を振りまいているところを見ると彼氏がいる線は薄い。この場に彼氏がいるなら視線がそちらに集中してもいいはずだ。愛想を振りまいているところも、入ってまだ日が浅いことが伺える。

 どのように話しかけたかはあまり覚えていない。覚えているのは「近くで見た顔が遠目に見たよりも綺麗だったこと」「地味めなメイクと思いきやしっかりカラコンを入れていたこと」「ひたすらに"かわいい"と褒める言葉を続けたこと」「隣のロングヘアの女になぜか睨まれたこと」のよっつ。この、理由もわからず睨んできた女が今日うちにくる、マナだ。

 そこまで思い出したところで、ケーキが焼けた。クリームとアイボリーの中間みたいな色のミトンで天板を掴み、机の上に置いておいた木製の鍋敷きの上に置く。肝心のチーズケーキは均一にとはいかなかったが、表面が綺麗な栗色をしている。冷やせばもっといい色になるだろう。それにしても、ミトンが気に入らない。関西に越してきて買ったものだが、色だけを見て縫い目がハートになっていることに気付かないなんて。男の一人暮らしにはあまりにも不釣り合いだ。

 
 常温まで冷ました後に冷蔵庫にしまってから部屋の片付けをする。洗い物は調理しながら済ませた為にシンクは既に綺麗だ。軽く掃除機をかけ、ベッド近くのテレビ台に目立たないようにコンドームを置く。さすがに泊まりはしないだろうが、甘いもの食べて、ヤって、そのまま寝るなんてことになれば、3大欲求全てをみたした1日になるのだなと、ゲスな考えが頭をよぎったところで4時も近いので彼女を迎えに行くことにした。あぁ、でもいざそういうことになるとしたらめんどくささが先に立ってしまうな。
 
 
 結局マナは泊まった。元々家に来た理由と言うのは「悩みを抱えているのだけど、大学内の話だから外部の人に客観的な意見を聞きたかった」といったものだった。その時点である程度の予想はついた。別段外で出来ない話でも無いだろうからどこかカフェにでも入ればよかったものを結局彼女は家に来た。自分から無理に誘ったわけでもない。趣味で菓子を作ったりする、ということを伝えたら自然と「来たい」と言い出した。そういうつもりがなかったのであれば警戒心がなさすぎる。まぁ"そういうこと"なのだろう。
 彼女は初めて見かけた時と同じようにやたらとこちらを睨みながら話していたが、別に強い不満があったからではなく末広型の二重まぶたと、最近悪くなってきた視力から自然とそうなっていただけらしい。"そういうこと"な空気になった辺りで軽いキスをする、そのままなにとなく、マナの目を漠然と眺めてみた。こめかみと目の間隔が自分の目に比べて随分と短い。切れ長の大きな目。目頭もぱっくりと開いている。「俺は、こういう目が欲しかったんだよな」とマナのまぶたの辺りを薬指の裏で軽くなで、そのまま首の後ろへと掌を伸ばす。少し、顔が緩んだ。 
 
 月曜日の朝「昨日の私服を友達に見られていないから大丈夫」とマナは2限の授業に向かおうと準備をしている。昨晩”そういうこと”になったのに、別段距離が縮まった感じがしない。大人になってくると10代の頃にはたいそうなことだったものも日常と変わらなくなってしまうものなのだろうと、見たくもないテレビを点けた。牡牛座の運勢は8位らしい。 
 
「ねぇ、ブラシないの?」 
「歯ブラシならその茶色い棚の一番下に新しいのあるから使っていいよ」 
「あ〜それも大事だけどヘアブラシのほう?」
 マナが不満を丸出しにしたしょぼくれた声で訴えかけてくる。 
「残念ながら、俺の髪質から想像つかんの?俺の天パにブラシが通るわけないやん、というわけでそんなものはうちにありません」 
「じゃあ何?このボサボサな髪の毛で今から大学いかなきゃいけないの!?」 
「しゃーなし。でもかわいいよ。それぐらい無造作感ある感じの方が俺は好きだな」
 そんな”感”を重ねた軽口を叩いたところでマナは結局不機嫌そうだ。当然。 
「しかたないからもう行くねー」 
「途中まで送って行くよ」
 
 面倒だった。時刻は8時半を少し前。グレーのパーカーを羽織って季節外れのニット帽をかぶってでかける。コンビニで買うものも無かったから、本当に見送りをするだけになってしまった。「ほぼほぼ部屋着やん」「まぁ実際寝起きだしな」などとつまらない会話をしながら二人で駅へと向かう。途中、たまに会釈をする程度の同級生とすれ違う。大学は駅と反対方向にある。勤勉な学生はもう登校する時間か、と時間のことを考えながら、はにかみつつの会釈。大学に入ってからというもの、こんな知人が増えた。向こうも少し困った顔をしながら会釈をする。朝、駅に向かいながら二人で歩いているという事実は、それなりに伝わるものがあるよなと「モテる男アピール」にでもなったか、と少し鼻を膨らませながらも引き続き歩く。10分程歩いたところで駅に着く。近くにオフィスビルが無いためかスーツ姿の人は少ない。乗り込む人の方が多い様に見える。雑多な人達に吸い込まれていく彼女の後ろ姿を眺めながら一度も振り返らなかったら、もう連絡を取ることもないのだろうなと、彼女との先を悲観的に思案した。
 
  「1限、間に合わねえな」
 
 
 
【だれそれの遅刻】
 
 
 世間一般にすれば派遣というものの印象はあまり良くないのかもしれないが、大学生にとってはとっても都合が良いものなのだろうな、と持田は思う。勤務時間は9時〜18時。時給は1100円。高い。長期が当たり前のバイトは、塾講師以外どこも最低賃金ギリギリかちょっと高いくらいだったのに、短期の派遣はこの金額。1日辺りの労働時間が長期のバイトに比べて長くなりがちだが、絹谷みたいに大学終わりで4時間ぽっちだけ働くなんてのより、1日がっつり働く方がよっぽど効率が良い気がする。あいつが八時間働くためにはスケジュール帳に「バイト」と書かなきゃならない日が2日いるが、俺の場合は1日で良い。稼ぐ金額は同じでもバイトで予定が潰れる日は1日違う。一応、今日はせっかくの日曜日ではあるが、大学の授業なんて16時には終わるし、日曜日にサークルはそれほど無い。 むしろ潰れていいのは日曜日な気さえする。それくらい、大学生というものは自由な生き物だ。


 休憩室横の喫煙所でハイライトメンソールを取り出す。形が崩れていないとこから察するに今日中に切れてしまうような本数ではなさそうだ。タバコをくわえ、アングラなバンドのライブを見に行った時に物販で買ったマッチを取り出す。サイケデリックな色彩のなんとか菩薩がアルカイックなスマイルをしている。右手一擦り、一発で火がつく。左手で、口にくわえていたタバコを安定させ、ゆっくり最初の一吸い。なにとなく目を細めてみる。肺に入れる際に一瞬目を弛め、吐き出すと同時にまた目を細める。仕事終わりや寝起きの一本には敵わないが、それでもタバコは美味い。別段煙自体に味を感じてはいないが、煙を吸い込む感覚はなぜだか美味さを感じてしまう。理屈じゃないとはこのことか。 

 

「あ、お疲れ様でーす。髪型目立つんでちらちら見ちゃってたんですけどお兄さん要領いいですね」 
一緒に働いていた女が突然話しかけてくる。ダンボール作ってそこに荷物詰めていくだけの作業に要領いいもへったくれもないだろと、心の中でだけツッコミを入れる。口にしなかったのは 
「あたし単純作業続けてると眠くなっちゃうんですよー」 
 
 けだるそうに話しかけてくるこのパッツンヘアの見た目が直球ストレートだったからだ。目元で切りそろえた前髪はスッとつり上がった猫目にやたらと似合っている。サブカルティックな女子にはありがちな髪型ではあるが、普通の女よりも明らかに小さな頭が"なんちゃってとは素材がちがうんだよ”と残酷な主張すら聞こえてくるような容姿だ。 
 
「あぁ、俺も正直ねむいっすわ」 
タバコの灰を落としながらてきとうな相槌を打つ。彼女がフィンランド発祥の妖精が描かれた小さなポーチからキャスターを取り出す。そういやスナフキンになりたい次期が俺にもあったな、なんて事を思い出しながら彼女を眺めていると火を点け終えたところで改めて目が合った。 
 
「そんな見られてると照れますわ。照れながら吸うキャスターってことでテレキャスター?」 
 
そう言いながら右手だけでギターを弾くふりをする。ブスや調子に乗った男が同じことをしていたら、持っているタバコで髪の毛を頭皮ごと焼いてしまいたくなるような冗談だったが、あまりのかわいさに「なにそれ」と返すことしか出来なかった。 
 
「お兄さんその見た目ってことは音楽やってるでしょ?綺麗な赤と青ですね」 
「バンドでギターやってんで。あと髪は、最初は襟足だけ赤にしようと思ってたんやけど、後ろ側染めたら前も染めたくなってな」 
 
前髪の青い2本のメッシュは二日前に入れた。まだシャンプーの回数も少ないので色は綺麗なままだ。ビジュアル系っぽくなることを少し気にしたがそんなでもなかった。 

「やっぱりやってるんすね。え?普段どういうの聞いてるんですか?」 
何かを思い出すような簡単な沈黙の後 
「八十八ヶ所巡礼とか、理論とかわかる?」 
と返してみると、大当たりの回答だったのか彼女のかたちの良い目が細くなる。 
「私八十八ヶ所巡礼大好き。ちなみに今日カレンダー見てきたんですけど、仏滅らしいですよ」 
「マジか~それはもう飲みにいかなあかんなー」 
「行くーもう仕事終わったら行きましょーよ」
 
 うふふと笑った彼女はいかにも機嫌が良さそうだ。ご褒美があると嫌な仕事も乗りきれるというものだが、俺は彼女にとってのご褒美になれたのかもしれない。気分が上がる。軽いノリでも言ってみるものだ。持田はそのままタバコを吸殻入れへと落とす。フィルター限界まで燃えきっていたタバコも、話し込んでしまった為か殆ど肺に入らなかった。肺が潰れてラングドシャ。 
 
 機械的軽作業を機械のようにこなして、てきとうに見つけた、たまに行くチェーンの焼き鳥屋に入った。酒には弱いが飲むといった手前飲まないのもおかしいだろうかとピーチフィズを頼む。「女子!」なんてツッコミがくるがこの掛け合いすらも楽しい。つっこみ上手な女は会話が弾むから最高だなと思いながらズリを串のまま食べる。いつもなら木製の椅子の硬さが気持ちを苛立たせるのだが、今日はそんな些細なことがまるで気にならない夜だった。 
 
「てかさ、彼氏おらんのん」
 軽い酔いに任せて確信に足を進めてみる。ここまできてしまうと逆にもう関係のないことな気さえしてしまってはいるのだけれども。 
「うふふ」と笑って彼女の口が開く。何か聞かれた時にまず笑ってしまうのがどうやら彼女の癖らしかった。 
「いるんやけどーまぁ今日はいない設定かな」
 一言いって彼女が笑う。”ドヤ”とアダ名を付けられている真田といい勝負ができそうなくらいのドヤ顔だ。これはもうキマったな、と久しぶりに頼んだ二杯目のお酒を飲み干した。 

 芝生で綺麗に整備された公園は、土が舞うこともなく風が心地よい。乾いた空気の中で吸うタバコが美味しい。芝生を少し気にしたが、今日の俺は何をしても許されるのだろうと土の部分を見つけて吸い殻を捨てる。 焼き鳥屋を出た後に公園に行こうと言い出したのは彼女の方だった。途中のコンビニで2本の缶ビールと切れてしまったハイライトメンソールを買った。人がいない深夜の公園で軽いキス。嫌がっていないことを確認して二度目。舌が苦い。
 
  「中途半端なのはダメだよ」
 
そう言ってうふふと笑った彼女の姿を見て、自分の血がアルコールのみによって熱くなっているわけではないことを悟る。その日はホテルで二回した。行為の途中「意外とそっちは普通なんだね」と癪に障る事を言われた気もしたが、圧倒的な幸福感の前にそんなことは瑣末な事でしかなかった。起床は、次の日の7時。大学生らしく1限は遅刻した。
 
 
 
 
 
 
 
 
【張り付くシャツは高校まで】
 

 6月と言えば梅雨、というのは誰もが抱える印象だろうか。雨、つまり水にはどこか冷ややかなイメージがあるものだ。だが実際、6月の日中は薄手のシャツ一枚で外を心地よく歩けるくらいに外気がぬるい。ああ、今日の服装は失敗だったな、と真田は嘆いていた。高校を卒業し、親譲りのBMWで大学へと通学するようになってから以前よりもずっと外というものに鈍感になってしまった気がする。車内にはエアコンがあるし、大学近くの駐車場を降りてしまえばすぐに教室に入ることができる。文学部で良く使われる教室は、なぜか他の教室と違いエアコンの温度を自由にいじることができる。文学部に対する風当たりが強い現代、これぐらいの特権くらいは許されてもいいのかもしれない。

「暑い…」

思わず口に出た言葉に横を歩いてる高木が顔を向けずに言葉を返す。「まぁそのかっこは暑いやろうな」冷ややかな視線を向けてくれた女子高生にを見送ってから二駅。大学の最寄り駅で電車を降りてから、高木は"いろはにほへと"と書かれたパーカーを腰に巻きだした。彼の身長は161ぽっちしかない。「中学生みたいやで」投げかけられた言葉に、高木は軽く反応したものの「暑いものはしゃあない」と、結局そのままのかっこうで歩き出した。「ぬのTシャツ」に「いろはにほへとパーカー」を腰巻きはあまりにも主張が激しい。話していても面白く無い奴と歩くよりはマシかと思いつつも、個性が強すぎるのも考えものだな、と少し呆れていた。それにしても、ミルクチョコレートにチョコレートフォンデュをかけたみたいだ。濃い。でも、飽きないのも不思議なものだ。


 途中のコンビニで毎週月曜のマンガ誌を買い、他愛もない会話をしていると自然、大学についた。コンビニに寄ったのにも関わらず授業開始の15分前と、思っていたよりは余裕を持って着くことができた。教室には既に3分の1くらいの学生がいる。5人が横になって座れる机は、本来その役割を持つ椅子よりも塩梅が良いのか半分くらいの人間が机に腰かけている。すべての椅子が黒板に向かっているから、椅子に座っている人に対して向かい合えるという要因も大きいのだろうか。

「おはよッ」

チョコonチョコの高木をみて笑みを浮かべた狭山が真っ先に挨拶をしてくる。

「お前当然のように座ってるけど学部ちゃうやん」

「なんでや!学部違う人間はここにおったらあかんのかい!こっちは学費払ってんねんぞ」

冷静な真田の言葉に狭山が反射的に言葉を返す。高木を見てから顔に笑みは浮かんでいるが、目は死んだままだ。

「いや、1限あるなら自分の教室行ったらええやん…」

「あんな、俺らの学科、授業も、座ってるゴミどももなんもおもんないねん。そんなやつらと過ごすより頭おかしいカッコで大学に来てる高木見るほうが面白いにキマってるやろ!!」

狭山の声は少しキレ気味だ。まぁ実際にはまるで怒ってはいないのだろうけど。そういえば、こいつが怒るところは見たことがなかったな。

「ありがとう!」

声に反応しふと、元気に親指を立てる高木へ振り向くと、いつのまにか真ん丸のサングラスをかけていた。さながら中国の信頼性のない行商人だ。すくなくとも日本の大学はこんな人間と商売をしないだろう。

「じゃあみんな!俺の歌をきけぇ!!」そう言って高木がマイクのジェスチャーを始めた。発した言葉は脈絡も無く意味不明だったが、狭山は手で口を抑え顔を逸らして大笑いしている。どうやらわかる人にはわかるアニメかマンガの真似ごとらしい。

「なあ!?おもろいやろ?」

そう言う狭山の顔はお気に入りの玩具を他人に見せびらかす少年の様に少し誇らしげだ。依然、目は全くといい程笑ってはいなかったけれども。

「で、今から何の授業やんの?」

「表現法」

「なにそれ」

「文章の書き方とか言葉の伝え方とか?来週からは学生たちでディベートやらしてくれるらしいで」

ディベートの言葉に反応したのか狭山の眉が少し動く。

「お、ええやん。ドヤみんなの前で手本見せたらええんちゃう?」

「嫌や!俺は大学生活を目立たず過ごすって決めてるんや。そんな目立つことできるわけないやろ」

「いや、さっきからそんな大声で、しかもそんなゴリゴリのドクロ着てたら目立たんとか無理やから」

服は母親が買ってくる。動きやすければ何でも良いとは伝えているが、アイドル好きの母親は息子にもそうなってほしいらしくやたらと派手な-尤も、真田にはそれが派手であることを認識できてはいなかったが-服を買ってくる。どうやらどれもブランド物らしいがまるで興味がわかない。

「いやいや、こんな典型的陰キャの文学青年にそんなこと言う?」

「やめろや!お前が陰キャの文学青年やったら、ほら、あっちの方で寂しそうにしてる本物の陰キャ達がかわいそうやろッ!」

「狭山さんそれ以上はいけない」

高木が横から腕を伸ばし、大げさなジェスチャーで静止をかける。昔から変なとこで正義感があるやつだ。

「大丈夫大丈夫、見てみ、あいつイヤホンしてるし聞こえてへんから。まぁ聞こえてたところでやけど」

「それもそうか」

狭山の一言に高木は納得したようだ。それもどうかと思うのだが…。

「ってかもう授業始まるから行ってこいや。お前みたいなヤカラといても目立つだけやねん」

「あんな、先週俺等の授業、痴漢犯罪者と強姦犯罪者の違いについてやってん」

「何それきもちわる」

「んでな、教授が鼻の穴あ膨らませて痴漢犯罪者の方がより精神状態おかしいって言い出したからさ、うわつまんねぇって思って"あぁ!ひったくりとかっぱらいの違いかぁ!先生は慧眼ですねぇ"って聞こえる様に言ってしもうたから、そのままめんどくさくなって喫煙所行ってん。やから今日教室入りたくないねんなァ」

「お前はなんでそんな人を傷つけることばっか口に出てしまうん…?」

「そういうことやから今日はこの授業受けさせてもらうわ。まぁ先生も学生の顔なんていちいち覚えてないやろ」

「静かにしてるなら俺は構わんけど」

と、狭山には何を言ったとしても聞かないだろうな、と諦めたところで5分前だったからか、いつもつるんでいる連中たちが雪崩れ込んできた。癖の無いまっすぐな髪をポマードでオールバックに決めてきた名取、古着らしいセーラー服に身を包む鹿目、鹿目にむかって「ぴゃあ」とまるで人間が発するとは思えない声を投げかけている鮫島、学園内部出身でどことない余裕を持ち合わせた石野。真田の席周辺は一気に騒がしくなった。内二人は狭山と同じく学部が違う。もう朝からこれ以上疲れさせないでくれ、と真田がそれらを無視して吉川トリコの文庫本を開いたところで先生まで入ってきた。しかし、それでも大したことは言わないだろうとそのまま8頁まで読み進めたところで耳に飛び込んできたのは、想像もしない先生の言葉だった。

「じゃあ授業に入る前に、絹谷くん、高木くん、真田くん、名取くん、平野くん、斎藤さんは先生の所に来てもらえるかな?来週のディベートの授業の事で話があるの」
 
 
「先生、絹谷はまだ来てないですね」 

「あらそう。真田くんありがとう。でも他の子はみんないるみたいだし説明しちゃおうかな」

 表現法担当の久本先生は、美味しいシチューを作るのが得意そうなおばちゃん先生だ。講師をやっていることを知らなければ街を歩いていても気にも止まらなさそうな、そんな、良い歳のとり方をしている。

 「来週からは今までの授業とは趣向を変えて、ディベートの授業に移る、という話は先週したわね?みんなにディベートをやってもらうにあたって、まずみんなの前でお手本としてやってもらおうと思っていたの」 

「えっと、この六人でディベートをやるってことですか?」

 「そう!話が早いわね。先週の出席表の下の方に"ディベートをやってみたい人はチェックを入れてね”という項目があったのは覚えているでしょう。今集まってもらった六人は、絹谷くんがいないから5人になるけど、先週その項目にチェックを入れてくれた人なの。というわけで、お願いできるかしら?」

 「ええ…」

 久本先生は真田がお気に入りらしく希望の眼差しを向けている。当の真田本人はと言うと

「なんでみんなチェックいれねえんだよ」

と少し不服そうだ。

 「先生!俺やります!」

 真っ先に前向きな返事をしたのは高木だった。こいつとは中学の頃から同じ学校に通っていることになるが、大学に入ってからというもの、以前よりずっと自由にイベント事を楽しもうとしている節がある。 

「高木がやるなら俺もやるわ」

 「んじゃ俺もやります」

 高木に続いたのは名取と平野。平野はいつも最前列の席に座って絵を描いているやつだ。雰囲気がどことなく平野耕太に似ている。 

「と、いうことだ。ドヤもやろうぜ」

 名取が真田の肩に手をかけニカっと笑う。タバコの吸い過ぎか歯が随分黄色い。 

「しゃーない、やるか!」

 真田がわざとらしく肩の手を払う。 

「よかった。男子たちはやってくれるのね」 

「は、ということは女子は乗り気じゃないんですかね」 

完全に空気になっていた斎藤と呼ばれる女子に目を向けると一刻も早くこの場から逃れたいのか、肩を縮め下を向いていた。 

「斎藤さんはやりたくないみたいね」 

「ぃぇ…私は…力になりたいなとは思うんですけど恥ずかしいというか…」 

「そっかあ。でも元々6人じゃ二人足らないしまた募集しなおさなきゃダメかもね」

 久本先生が少し困った表情をする。前の方で集まっている人間達に少々の沈黙が流れた後で座っている学生達に少し動きが見られた。頭を上げたのは、ロバ?と小熊?

 「先生!私達がミホリンの仲間になります!」 先に声を上げたのはロバ顔の方だった。小さいころ下駄で思いっきり叩かれたのだろうか。随分と顔が平たい。

 「あら良いわね。お友達?」

 「あ、はい。二人は普段から仲良くしていて」

 「そう。それならよかったわね。絹谷くんはきっと了承してくれるでしょうしこのメンバーでグループ分けしましょうか」 

「先生。せっかくなので私斎藤さんと坂田さんと同じグループがいいです。だって、ミホリンを一人になんてできませんし」 

ロバの猛追が止まらない。普段鞭を打たれる方だからか、攻めるとなると止まらないようだ。それにしても、先生の前で友人をアダ名で呼ぶとは無知にも程がある。 

「でもあなたたち3人じゃない?ディベートは4人一組なんだけどもう一人はどうするの?やっぱりじゃんけんかなんかで分けた方がいいんじゃ」

 「大丈夫です。後1人には絹谷くんに入ってもらうので。語学が一緒だし仲もいいのできっと断られないと思います」 

「そう?じゃあ決めちゃいましょうか。真田くんたちもそれでいい?」

 「はあ。俺たちは構いませんけど」

 「よっしゃあ!あのクソ天パぶっ潰す!」 

高木が高らかに宣言した所で教壇に近い方の扉が開いた。

「え?呼んだ?なになに俺の話?先生すみません遅刻しました。出席表もらえません?あ、まだ授業始まってないんですね。よかったぁ。遅刻とかしたくなかったんですよね。だってほら、俺って真面目じゃないですか??」 

そういって不穏な空気を一切読もうともせず絹谷は現れた。コツコツとうるさい黒いブーツにタイツの様な細さのスキニーをインしている。羽織っているやたらと丈の短いヒョウ柄のジャケットはお気入りらしく大学に入ってからというもの飽きるほど見ている。どうやらとても高いブランドらしいが、そういったものほど繰り返し着るものでは無いということをこの田舎者は知らないらしい。いたるところからワカメのような癖っ毛がはみ出している黒いキャスケットを室内でも外さないところも、やはりどこか田舎臭い。

 「絹、そんなことよりお前、今日から俺らの敵やから」

 「待って、いきなりやん。どういうこと?」

 「来週からのディベート。俺達のグループとそこにいる女3人とお前のグループで競い合うねん」

 「遅刻したから勝手に決められたってことか」

 「そうなるな」

 「戦力差ありすぎやろ…」

「そうなるな」

 「まぁまぁ。議題は女性専用車両の是非についてだし絹くんも得意でしょ?一緒に頑張ろ!」

 
 勝手に議題、ひいては賛成反対まで決められていたことに真田は疑問を浮かべずにはいられなかったが、バカには何を言っても無駄だろうと、この場はおとなしく引き下がることにした。
 
 
 


 1限の授業も滞り無く終わり、休憩時間に入った。授業の内容はというとディベートの基本的な事についてだった。まず、立論者/反対尋問者/反駁者という形にそれぞれ役割がつくらしい。今回4人一組になったのは、それに書記がついたからだという。初めに賛成側の立論者が主題についての意見を発表し、それに続いて否定側も意見を発表する。次に行われるのが反対尋問で、つまり最初の意見について反対する、というものらしい。そして最後に、反駁者が今までの意見と反対をまとまた上で発言をする、とまあそんな流れらしい。ディベートというと集団で話し合うイメージがあったので、1人に1つの役割というのは少し意外だった。しかし正直これはこちらにとって、とても都合が良いことだ、と真田は俄然やる気を出していた。 
 

 対戦相手がロバに小熊に小声に絹谷とやたらインパクトが強かったので忘れていたが、こちらの布陣は俺に高木に名取に平野。名取は名のある進学校出身であるために頭の回転は早い。昔授業でディベートをやったことがあるらしくこの場ではとても頼りになりそうだった。当の自分はというと中学の頃から本ばかり読んでいたのだ、日本語の扱いには多少なりとも心得がある。問題は高木と平野だった。大学が始まってから二ヶ月が経ったが、俺はこのバカが真面目に授業を受けているところを見たことがない。授業が始まる前には必ず着席しているし、頬杖をついてはいるものの眠ることもない。いつも静かに授業を受けている様に見えなくもないだろう。しかし、それは見えているだけだ。俺はこいつがジップを開けた筆箱の中にiPod touchと呼ばれる小型の液晶を埋め込んでいる事を知っている。そして、そのやたらと時間の長い頬杖が耳元の無線イヤホンを隠すためのものであることも、知っている。「週に10本のアニメを見るには隙間時間を有効活用しなくちゃいけない」なんて漏らしていたが、授業は隙間時間なんかじゃあない。

 以前そのことを指摘した時「まあ俺がアイスズキやからな」などとわけのわからないことを述べて聞きはしなかった。こいつは勉強が出来ない。そして、平野も同じだ。最前列で授業を受ける姿はよく見るが、こいつが授業よりも授業中のお絵かきに夢中だと言うのは知っている。 しかし、役割さえ決まってしまえばこれ以上は無いのではないか、という気すらしてくる。簡単な話だ。得意でなさそうな高木と平野を、それぞれ立論と書記にしてしまえば良い。高木は普段からアニメの声真似をしているせいか腹式呼吸で声が通る。立論は相手の意見を気にすることなく喋るのだから、予めメモを用意し、それを覚えこませる。声が通るから破壊力は抜群だろう。平野に関してはその絵描きの能力を活かしてもらう。こいつが鉛筆で絵を描く所を見たことがあるが、何より手を動かすのが早い。A4サイズであれば下書きなど5分かからないだろう。その能力をもって書記として働いてもらう。きっと良い働きをするだろう。あとは柔軟な対応が求められる反対尋問と反駁を俺と名取が勤めれば良い。万に1つも絹谷の勝ちは無いだろう。


 絹谷はというと少し離れた席でロバたちと何やら話をしている。相変わらず女に対して”だけ”愛想が良い。もっとも真田の目に彼女らは女として映ってはいなかった。さながら雌、といったところだろうか。 
「ドヤりん楽しそうだね」

 狭山がニヤついている。結局1限は一緒に受けた。これから起こることが嬉しくてしょうがないのか。子を産んだ母親みたいな表情を浮かべている。

 「結局受けきったな。途中喫煙所行くかと思ってたわ」

 「こんな面白いことになってるのに移動するわけにもいかんやろ。来週も受けよっと」

 「ああ、ま、楽しみにしててええと思うで」

 そういって真田は自慢のXperiaを開いた。最近はスマホでPDFが見られるからとても便利だ。 

 

 

 時間は少し遡り、1限の授業が始まる時。鹿目は目の前の光景に目を奪われていた。小学校の頃は誰もが授業中に手をあげていた。しかし中学、高校と上がってからというもの、挙手の数は次第と減った。殊日本においては出る杭は打たれるからだ。目立ちすぎても、優等生を演じすぎてもいじめの手は降りかかってくる。俺もいじめにあった。シンプルな理由だ。単に太っていて、気が弱かったからだ。そのせいで、中学は大好きだったサッカーすらろくにやれなかったと思う。進学校で水泳部に入ってからはいじめは止んだ。水泳の消費カロリーが著しく高く、なまっていた自分の体を引き締めたから、と自分では思っていた。今思い返してみれば、自分の見た目に自信がつき立ち振舞までもが変わったことが一番の理由なのだろうが。そして、音楽。鹿目は、自分を変化させられることを知っている人間だった。 

 授業開始前、教壇付近で騒いでいる学生7人には嫌というほど目が行った。たかが大学の、しかも文学とは直接関係のない事柄について他の学生が精力的に行動していたからだ。あいつらは出る杭じゃないのだろうか。むしろ出すぎた為に見向きもされなくなった釘、といったところだろうか。それにしては楽しそうだ。

 「あいつら楽しそうだな」

 「ア?なんか言ったかシカ。ちゃんと日本語使ってもらえます?鹿語じゃなくてさ」

 「人の言語をアメリカの州みたいに言うなよ…」

 狭山は真田たちが前の方に行ってしまって暇なのかやたら口が悪くなっている。 

「いや、あいつら来週からめんどくさいこと押し付けられるっぽいのにやけに楽しそうだなって」 

「あー確かに高校までじゃ考えられない風景かもな。楽しいことに飢えてんちゃう」

 「そんなものか」

 「あれが”男子校のノリ”ってやつじゃないの」

 「男子校のノリ?」

 共学出身の鹿目にはピンと来なかったのか、鹿目は首をかしげる。

 「男子高校生ってのはある程度別れるらしいで。1つは他校に女子を求めるやつ。女子校とはコネクションが取りやすいらしいからこれはわかりやすい。男子高校生なんて性欲真っ盛りやしな。2つ目は勉強に集中し過ぎる奴。まあ女子との出会いもないし逆に進学について完っ全に目を向けるやつな。そして最後「モテる」ということがステータスにならないことを受け入れ、己が感性を極限まで磨くもの」

 「なんか最後のやつだけかっこ良すぎない?」

 「オタク趣味ばっかやけどな。つまり、あれよ。共学であれば”モテなくなる”という理由で避けられがちなアニメとかのオタク趣味、ただの授業で前に出過ぎること、これらはむしろ個性になって"あいつおもろいやん”といった形で魅力になるんやろ」

「そんなものか」

 「そんなもんやろ。中高大と一貫やから勉強もせんでええしな。異性の目がないっていうのは童貞捨てられんくらいで他は気が楽なもんよ。今前におるなかで男子高出身なのは高木とドヤだけやけどな。まぁ絹谷も男子寮出身らしいし波長が合うんちゃう?」 

「なるほどなぁ」

 横では石野がうんうんと頷いている。こいつも高木たちと同じ男子校出身だったな、と納得してみる。石野はファッションにまるで興味がないらしく富士山が描かれたTシャツを着ている。 

「お〜っす…」

 気の抜けた挨拶に目を向けると持田が遅れてやって来た。昭和のヤンキーみたいなぼんたんを履いている。絹谷と同じで、随分と派手なカッコだ。

 「もっちーが遅刻なんて珍しいな」

「あぁ昨日ちょっと飲み過ぎてな。始まってないみたいで助かったわ」

 
 そう告げたのを最後に持田は机に突っ伏した。俺も1限で朝早かったしさっさと寝てしまうか。
 
 
 
【緊張と汗】
 
 ディベートの班決めから一週間が経った。夏が近いこともあり教室のエアコンはガンガンに効いている。電気代の上昇が嘆かれる昨今ではあるが、熱中症を出してしまっては元も子もないといった大学側の配慮なのだろう。
 しかし、汗というのは暑くなくとも流れるものだ。絹谷は背抜きのスーツの腋をびっしょりと濡らしている。先週の月曜日、ディベートが行われる事を決められた。参加したというよりも決められてしまったと述べるほうがより正確な気がする。教室の扉を開けた時最初に受けた言葉が
「絹谷くん。森村さんたちとのディベート、お願いね」
といったおおよそ想像すらできなかったことなのだから。対戦相手が高木達であるのに対して、こちらの味方はというといつも教室の後ろの方でくっちゃべってる女達。勝てるわけがない。先生は出るだけでテストの点数を上載せしてくれるという話だったが点数の代わりに俺は他のものを失ってしまうのではないだろうか。
「絹谷くん。がんばろうね。絹谷くんがついてるんだしきっと勝てるよ」
声をかけてきたのは女子集団の中でも一際声と体の大きい森村だ。見るからに質の良いシャツワンピを着ている。金持ちか。
「期待してくれるのはありがたいけど勝算は薄いかもなぁ。まぁやれるだけやってみるよ。ってか、役割はどうするの?そっちはいつも集まってたみたいだけど、俺何も聞いてないんだよね」
「えっ!?絹谷くんが全部決めてくれるんじゃなかったの?」
森村は絹谷の発言に心から驚いたのか大げさに目を広げてこちらを叱責する。連絡先は交換してたけどこちらが何か提案したところで「じゃあそれで!」しか言わなかったじゃないか。俺の時間を何だと思っているのだろう。
「あ、そっかそうだったね。うん‥まぁ立論で何を述べるかは凡そ考えて来てるから俺が立論やって、反論などは任せる形でも良いかな」
「さっすが絹谷くんやってきてくれてるって信じてた。お願いします」
森村が手を合わせてお願いしてくる。残り二人の女子は我関せず、と下を向いたままだ。
「おっけー、じゃあ反論達は任せるね。まぁ相手の発言の矛盾突くだけだしきっと何とかなるやろ。がんばろうね」
そういって絹谷は自分にできるそれなりの笑顔を彼女達に向けた。笑った顔を見せたおかげか少し安心したらしく緊張していた空気が少し緩む。バカ共が。立論は頭使わないから一番楽なんだよ。ああ、それにしても汗が止まらないな‥。
 
 
 
 
「高木、この間送ったメモは全部暗記したか」
「ええ、もうそれはバッチリで」
「よし、カンペもかまわんらしいけどメモを読み上げるのと暗記しておいたものを発言するのとでは抑揚の付けやすさなどが段違いやしな。本番も頼むで」
「おう」
「名取も、この間渡して置いたPDFファイルには目を通した?」
「ええ、それはもう。この目に!穴が空くほど見てやりましたよ。早く…ぶちかましてやりたいですなぁ」
「本番ではその芝居がかった喋り方はやめてくれよ。ん、でもそっちのほうが、いいのかもしれん…まあ任せるわ。んで、平野」
「はい!」
「良い敬礼やな。まあお前は今日発言せんでええんやけど、反論を述べる前のシンキングタイムではお前のメモが重要になってくる。要点だけでもええから、あのクソ天パの発言を中心にメモ頼むで」
「まぁかしといて!」
「んじゃ、あのクソ天パ共を殲滅するか」
 
 
 
 
 久本先生が教室に入ってきた。ついに始まる地獄の90分。心はまったく踊らない。昔から積極的に人前には立ってきた。しかしそれは”目立ちたかった”だけであり、得意だったわけではない。そして、この緊張感というのは20歳になってもまるで慣れない。絹谷は、絶望の枠組の中にいた。
 
「じゃあ早速、先週お伝えしていた通り、今日はみんなにディベートをやってもらいましょうか。お手本ですし、真ん中辺りでやるほうがいいわね。じゃあ、その辺りに座っている人達は一度席を立ってもらえる?二つの長机が向かい合うようにしたいの」
 
「先生、僕達がやりましょう」
 
そう言って、ちょうど教室の中心にある机を整理し始めたのは名取だった。もうやる気満々なのだろうか、声はいつも以上に芝居がかっているし、作業の手も早い。もういいよ。もう、90分机のセットだけで終えよう?
 
「先生できました」
「ありがとう名取くん。じゃあ、高木くん達はそれぞれ班ごとに机に座ってもらえる?立論の人が右端、続いて反論、そのとなりに反駁、左端に書記という形でお願いね」
 
ここまで5分。あまりにも時間がかからなさすぎる。みんなテキパキ動きすぎだ。嫌だ!俺の公開処刑は短ければ短いほど良いんだ!くそっこんなことならスーツなんて着てくるんじゃなかった。くだを巻きつつ、不満気に席を移動しようとする絹谷を気遣ったのか、久本先生は話しかける。
 
「あら、絹谷くん。スーツなんか着て今日は気合入ってるじゃないの」
「いやぁ皆様の前でやることになってしまいましたしね。半端な格好は出来ないよなぁと思いまして」
「そう、今日は頑張ってね」
そう言って久本先生は胸の前で両手をグーにする。若者がやるとあざとすぎるポーズだが、先生には不思議と苛立ちは沸かない。
「先生!絹谷くんだけ応援するのは不公平ですよ!」
「あら、ごめんなさい。高木くん達も期待してますよ。それにしても、高木くんも絹谷くんに負けじと気合が入ってるわね」
 
 高木のスーツ姿を見たのは初めてだった。タッパもないしさして似合わないと思っていたが、きちんとした服を着ると背筋も伸びるらしく、そこまで不自然さはない。と、言いたいところだったが高木はきちんと小ネタを仕込んできたようだ。彼のスーツ姿は黒いスーツに白いシャツ、そこにストライプのネクタイといったビジネスライクなものではなく、どこで仕立てたのか想像もつかない、斑な染まり方をした紫色のテーラードジャケットに鮮やかなオレンジのシャツという、どこぞのアメコミの怪人と見間違えるようなものだった。極めつけは水色のネクタイだ。ラメはいけない。ラメが入ったネクタイを締めてくるバカがどこにいるんだ。ああ、うん、ここにいたんだな。
 
「おまえ、そんなカッコされたら、もう、さ。とりあえずどこで買ったのそれ?今日だけの為に仕込んだん?」
 
「なんや文句あるんか。一応、反対側ということで敵側のかっこしてきたんやぞ」
 
「いや、熱意は認めるけどな。ホントどこで買ってきたんよそんなジャケット…」
 
「ああ、紫のスーツを今から買いに行くのも大変だったから元々あった白いジャケットを染てん」
 
「はあ!?自分で!?今日のためだけに!?もう着られへんやん!」
用意するくらいならやりかねないと思っていたが、まさか自前でつくり上げるとは思わなかった。
 
「おう、風呂場が紫になったせいでこの一週間風呂掃除大変だったわ」
 
「あぁ大変なんだな。ってか今日はお前が立論?」
 
「せやで、まぁ絹谷くん、お互いベストを尽くしましょう」
 
これほどまで憎たらしい笑顔を向けられたのは生まれて初めてだ。大学に入学し、4月に知り合って二ヶ月。やっと慣れたことだが、高木というのはこんなやつだ。”おもしろい”と感じた事であれば、時間や、経過を惜しまない。たしかに大学生には自由も時間もある。しかし、少なくとも絹谷には、彼のような過ごし方をするなんて想像もつかなかった。
 
「おいお前ら座れや。早く初めて早く終わろうぜ」
 
絹谷二人に声を投げたのは真田だ。高木に気を取られていたが、気付けば名取たちと女性陣は既に所定の位置についている。寝ていた先週の授業中に審判も決められていたらしく、向かい合った二つの机直に直角に置かれた机にメガネの女が3人と、反対側に太った男が座っている。更には、「見本のディベートは今か今かと待つ」50人超の聴衆もいる。真田の顔がいつもより恐い。向かい合った机に座る高木が呟く。
 
「さあ!ショータイムだ!」
 
え、ちょっと待って、真田。その机に積まれた大量のプリントは何?え?あ、もう始まるの?
 
 
 
 
 
【そのころ】
 
「あー今日の授業あいつら見てるだけっぽいしちょーらくやわー」
先週と打って変わって、時間通りに来た持田だったが、あいも変わらず1限の授業は眠そうだ。
「俺も何も気にせず座ってられるしほんまええ授業やで」
「いや、お前は授業にでろよ」
「まあ四回休んでええらしし大丈夫大丈夫。俺にとってはこれが授業や」
「んーそれは一理ある!」
持田と狭山の親が聞いたら卒倒するようなやり取りに鹿目は少し体を小さくした。まあでもこの日の為に高木と狭山はスーツを着てきているみたいだし確かに少しは楽しみだ。そもそも、今日の授業は中央のあいつらを来週の見本にしろという事だし、あいつらのやり取りを見る他にやることがない。
「高木達は真面目にやるんかな」
鹿目の呟きに答えたのは狭山。今日はとても機嫌がよさそうだ。
「ドヤはこの日の為に警視庁と国交省に張り付いたゆうてたで。あーうろたえる絹、ほんっま楽しみ」
何を食べて生きたらこんな、通常の人が言い淀んでしまうことを臆面なく言えるのだろう。そんな狭山を少し羨ましく思ったところで審判役のメガネが開始の挨拶を述べた。まあ今日ぐらいは寝ずに見届けてやってもいいかな。
 
 
 
【審判をつとめる女の子はいつの世もメガネをかけているものだ】
 

「それでは、女性専用車両についてのディベートを始めます。賛成側の方、立論をお願いします」 

 小さな声の簡素な挨拶に気付き鹿目は意識のアンテナをそちらへと向けた。賛成側に立つのは絹谷ことスーツを着た天然パーマと、女子3人。横一列に座ってはいるが、絹谷と女子3人の間に心なしか少しの距離がある。恭しく、というよりはむしろ気だるげな雰囲気が漂っているが、スーツの天然パーマは少しかっこをつけたであろう低い声でカンペを見ながら、本当の意味でのディベートの開始を語り始めた。少し、体が揺れていることからこちらにまで緊張が伝わってくるのが面白い。


「はい、それでは立論を始めます。まず!肯定の理由、三つあります。まず痴漢、痴漢被害を受けている女性がひっじょうに多いということですね。女性向けインターネットサイト「サンサン」が実施した無記名のアンケートによると、実に女性の80%、80%の人が過去に痴漢被害に遭遇したとの情報があり、ます。え〜さらには!男性側においても冤罪、痴漢冤罪にかかっている人がひっじょうに多いということですね。そう、それの、そういった理由があるので女性専用車両を導入する事が一番…あ、良いメリットがある」 

 絹谷の語りは、そのスーツ姿とは反対にとても流暢とは言えないものだった。語尾は聞き取りづらいし、途中カッコつけてカンペを”ピシ”と叩いたところも逆に痛々しく、周囲からはふっふっ、と鼻から息が漏れる音が聞こえる。鹿目の隣に座っている狭山にいたっては「やっっぱりか」といった調子で体をそむけて大笑い。しかし、当の本人は笑われることを承知なのかそれとも、いっぱいいっぱい過ぎて周囲に意識が向かないのか、変わらぬ調子で語り続ける。少し、早口になったかな。


「さらに二点目。男性と女性の人口比率は二倍も違うんですね…通学の時には。故に!女性専用車両、いや男性専用車両を作るよりも女性専用車両を作るほうがよりコストが少なく済むんですね。これが第二の理由です」


 また絹谷はまた紙を叩いた。心なしか一回目よりも音が小さい。 

「そして第三の理由ですが子連れの女性。授乳中の子供がいらっしゃる女性。そのこ、そのこが…、そのような子供がいる女性のとっては女性専用車両はとても便利だと思われます。授乳が必要な乳児を抱える女性は男性よりも比較的多いですが、女性専用車両があれば!男性の目を気にすることなく、泣き叫ぶ赤ちゃんに授乳を行うことができるのですね。僕も以前、田舎のローカル線車内で泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えた女性を見かけたことがあります。泣き出してからはうっさいなぁうっさいなぁ思ってたんですが、急にピタリと止んだのでふと目を向けてみると彼女、直接授乳を行っていたのですね。感動的なシーンではありましたが、彼女も女性専用車両があれば恥ずかしい思いをすることがなかったと、その時思ったんですね。いじょ、以上三点をもって、僕達肯定側は女性専用車両に賛成します」 


 絹谷は最後、ぎりぎり聞き取ることができる程度の早口で語り終えた。座りこむ早さには目をみはるものがあった。それこそ、昨日見たドッキリ番組で男性芸人が落とし穴に落ちた時の早さが、あんな感じだったな。鹿目から少し離れた位置に座る絹谷はいつもの痩躯をいつも以上に細くして今にも消えてしまいそうな雰囲気だ。お疲れ様、君はよく?頑張ったよ。鹿目が絹谷を見やった後、いたたまれなくなって狭山に視線を向けると、そこには少しの満足感が伺える笑顔があった。目は死んでいるが、とてもいい笑顔だ。 


「あいつ、めっちゃくちゃ演説へったくそやな。だっさ。ふふっふふふふふ」 

「うん…今のはひどかったね」 

「それにしてもまさかディベートで自分語り挟むとは思わんかったわ。さあて、次は高木に期待やなぁ。ジョーカーはどんな演説をするんやろ」 


 自然、高木が立ち上がったのが見えた。絹谷と向かい合っている為にこちらからは背中しか見えないが、後ろ姿からも充分わかるくらいの自信が見て取れる。体は小さいのに、少なくとも絹谷よりは大きい背中だ。 
「はい立論始めます!!立論イチ!!」 

高らか過ぎる声は、防音の壁の処女膜を貫いた。

 ところで、高木が立ち上がる直前、当の絹谷はというと腋だけでなく背中にも汗を広げていた。ひとつの仕事を終えたという砂城の安堵をこのまま崩されてしまうことを予感、していたから。
 
 
【ショータイム】
 
 
「立論イチ。犯罪防止として機能していない。痴漢犯罪を防止するための女性専用車両ではありますが。車両導入後の2004年以降、強制わいせつ罪、および迷惑防止条例違反の検挙者数の変化は見られません。また、現状において女性皆が女性専用車両に乗っているわけではありませんので、女性専用車両での痴漢問題の根本的解決にはいたりません。しかし!」
 
始めこそ、その声の大きさと真面目に何かをするものへの嘲笑が聞こえたが、次第空気は彼の声のみが支配していく。
 
「J◯埼◯線において実験的に監視カメラを導入した所、犯罪率が六割減少したというデータが存在します。よって!我々は女性を真に犯罪から守るという観点において、女性専用車両は不必要であると考えます!!立論2に移ります。立論ニ!!」
 
 
 
 高木の立論は3まで続いた。3まで続いたのだけど、ディベートに全くの知識がない鹿目の目から見ても1の時点で勝敗は明らかだった。綺麗なカウンター。絹谷が痴漢防止の為に、とたどたどしく持論を繰り出すことを前々から知っていたかのような、そんなパンチ。殴り合いになるはずの場面で攻撃を見事避けられ、倍以上の攻撃を食らってしまった絹谷はあまりにも惨めだった。惨めだった。惨めだったのだけれども、どこかとてつもなく痛快だった。別に恨みはないんだけど、人が論破されているシーンを見るのは、不良漫画で主人公がケンカに勝った場面を見た時に、まるで自分までもが強くなった気がしてくるような、そんな高揚感に似てる。正論も暴力も実は大差ないのかもしれない。
 
「いやぁ、高木はやっぱり期待通りやったな。ってか高木のやつさぁ、実際台湾では女性専用車両を設置した際に、じゃなくて実際とぅわいやんでぇは!って言ってたよな。その国どこだよ」
双方の立論が終わったので、中央の机は反論の為のシンキングタイムになっている。相変わらず今この時間が楽しくてしかたないといった雰囲気が漂う。こいつ、見てくれは恐いけど基本いつも楽しそうかも。
「高木の立論でしったんやけど台湾じゃあ女性専用車両って男女差別として三ヶ月で廃止されたんやな」
 
「みたいやで。なんかドヤが全部調べたらしい。先週絹谷の隣に座ってるロバに腹立つこと言われたから徹底的にやるんやって」
 
「ふうん。何言われたんやろ」
 
「さあ?」
 
 鹿目達が場外から楽しく見学している中、絶賛ボコボコ中の絹谷は賛成側という動物園で必死だった。本来ならば必死になる必要などなかった。ディベートというのは複数人が喋ることによって収集がつかなくなることを防ぐために、立論を述べる人、反論を述べる人、反駁といって総論を述べる人というのが1人1役と決められている。反論に移る際にはシンキングタイムがとられるので、その間意見を出すという役目は残っている。しかし結局皆の前で発言することはないのだ。直接的な恥をかくことはない。めちゃくちゃな事を言って周囲の疑問を爆買いするのは、絹谷ではない!何を気負う必要があろうか!恥の厚化粧で真っ白になんてならなくて済むのだ。何を気負う必要があろうか!何を気負う必要があろうか!
 
「ねえ…絹谷くんどうしよう」
 
なぜ俺に聞く。まずみんなで意見を出しあうのが定石である程度出しきったあたりでリーダー格がまとめるのが普通では無いのか。なぜこの哺乳類は自分で考える素振りすら見せずに俺に聞いた。ああ、俺の座る椅子に手を置くな。上目遣いで見るな。甘えてくるな。お前は自分が思っているほど可愛くはない。右腕を俺の机においた時点でその腕はもう既に前足でしか見えないし、そもそもその水色のシャツワンピ、全身がグレーよりの水色になっているからか、もはやお前は人間ではない。水色の体をした4足歩行のロバだ。
 
「うーんどうしよっか。監視カメラとか具体的な事例を出されたのは厳しいなぁ」
 
「でもそれより絹谷くんの乳児の話びっくりした。たしかにそういう使い方もあるなぁって思ったしやっぱり女性専用車両は必要だよね」
 
お前に必要なのは家畜車だけどな。ちなみに俺は電車内で授乳を行う女性なんて見たことがない。
 
「まぁ今は反論の方を考えよう。森村さんだけじゃなくて、斎藤さんや古田さんも意見ない?」
 
「えっ私は」
 
そういって二人は黙りこんで下を向いた。
 
「んーとりあえず相手の主張は監視カメラに重きを置いてるみたいだし、監視カメラは盗撮と同じでプライバシーの侵害だ、とでも言ってみる?」
 
「それめっちゃいいじゃん!!さすが絹谷くん。電車に監視カメラとか考えられないよね」
 
んー僕は冗談を真に受けてしまうあなたの脳内が考えられないよ。君はコンビニの監視カメラにもプライバシーを主張しているのかな。ああ、でもノリ気になっているし何も言わないよりは、遥かに場が持つしもうこのままおだててやろうか。あれ、でも待てよ、彼らは実験的に監視カメラが設置されたと言ったが、その実験がいつ行われたかまでは言っていない。その実験がある程度前の事であれば、長い間導入されていないという事は監視カメラには何かしらの問題点があるのかもしれない。
 
「時間になりましたので、次は否定側から質疑をお願いします」
 
そんな事を考える時間、なかったね。ごめん、森村さん。最後の悪あがき、と絹谷が森村さんに発言をお願いした所で立ち上がったのは光沢感のあるシャツにバッチリとオールバックを決めてきた名取来須。インテリヤクザ風、日常生活においてはあまり見かけないどころか浮いてしかたないだろうが、この場におけるドレスコードにはドンピシャといったところだろう。
 
ところで、映画コマンドーの「地獄に落ちろベネット」とはよくいったものだ。俺はもう既に地獄に落ちている。野郎、ぶっころしてやる。
 
「え〜まず立論1の女性の痴漢被害80%云々の話ですが、ここまで女性の被害が多いのであればより効果的な犯罪対策が求められるべきではないのでしょうか。こちらが立論1で提示した防犯カメラは実際にデータとして効果が証明されています。防犯カメラの設置のほうがよろしいのではないでしょうか」
 
ドがつくほどの正論を述べた後、名取はわざとらしく首をかしげ右手で提示のポーズを取る。
 
「肯定側は反論に対する応答をお願いします」
 
応答?このメガネ審判は何を述べているのだろう。応答。それはつまり立論のように、片方が何かを発言しまた片方が何かを発言する、という形式ではないということの表れだ。隣の哺乳瓶が名を囁く。「キヌタニクン」それは、つまり、発言をするのが俺ということの表れだ。
 
「少なくとも、女性専用車両における女性の痴漢被害は0です」
 
絹谷のとんちきな応答に名取は重たい瞼から鋭い眼光を飛ばす。なるほど、と1つ鼻を鳴らして彼は続ける。
 
「しかし、女性専用車両というのはそれだけコストがかかります。こちらの防犯カメラはダミーでも効果があるんですよね。コストの面から考えても、女性専用車両より防犯カメラのほうがよろしいでしょう。あなたにわかりやすくまとめるならば、女性専用車両は不必要なのですよ」
 
高校時代放送部のエースだった彼の声は低く、それでいて動く。その声と正論に、絹谷はもう腰砕けだった。憎悪以外の感情はない。羞恥すら消えた。そもそもなんだよ。なんでたかがディベートでお前は光沢ありのシャツなんて着てるんだ。おまけにジャケットまで着ちゃってさ。知ってるよ叔父さんにもらったHERMESだってなそれ。なにさ、おまえなんてどうせHERMESをへるめすと呼んじゃった口だろどうせ。フランス語では最初のHは発音しねえんだよバァカ。あ、でも俺に教えてくれた時ロゴをエルメスって正しく読んでたな。なんだよ。ちくしょう、お前なんて最初のHもまだのくせに。
 
女性専用車両という形でお金をかけなくても、犯罪率は下がりますよね。おわかりですか?」
もうこうなったらどうしようもない、と絹谷は口から出まかせをフリスビー犬のごとく返すことにした。
「性嗜好異常というものがあります」
聞き慣れない単語にふっと鼻から息を抜いた名取が絹谷の言葉に耳を傾ける。
 
「性嗜好異常という精神疾患を抱えた人は、やめようやめよう思っていても、それでも手が出てしまう人達につけられる病名です。つまり、監視カメラがあろうとやっちゃう人はやっちゃうんですよ。彼らを救うには目の前から女性を排除するしかないんです‥」
絹谷はたかがディベートであるにも関わらず突然涙声になりながら語る。本当に悲しんでいるわけではない。別の要素を入れることで、少しは場の空気が変わると踏んだ。
 
その試みは成功したのかは定かではないが残り時間を気にしたのか名取は別の話題に切り替えていく。
「そうですか。それでは次の質問ですが、男女比が2対1?でしたっけ。ただ、なぜ男性の方が多いからといった理由で女性専用車両が導入されるのでしょうか?」
少し応対が長くなっているにも関わらずロバ達には相変わらず動きは見られない。
「いえ、今回の議題は性別車両をつくる前提で話したので」
 
「それはつまり男性のみが混雑の影響を受けろということですね?これ男女差別にあたるんじゃないですかぁ」
もはや反論することはできないだろうと名取は少しの巻き舌だ。
 
「日本では元々男女差別が容認されてきた国です。今更そんなこと話題にするべきでもないでしょう」
 
「何を仰っているんですか?日本という国の話をしているわけではありません。あなたは、台湾の例を聞いてない?」
 
「フィリピンロシアパキスタンブラジルは女性専用車両を導入しています。廃止された台湾の一例に対し、こちらは4つの国が挙がりますが?」
 
「いえ、そもそも女性専用車両が導入されていない国のほうが圧倒的に多いでしょう」
 
「今は肯定否定の話をしているわけであり、それこそ多くの中立国の話をしているわけではないでしょう」
 
絹谷が述べたデタラメな国名も少しはダメージになったらしくディベートにおいて初めての沈黙らしい沈黙が訪れた。絹谷は少しはしのげたかもしれないと、汗の量を減らす。名取の表情からは何も読み取れない。
 
「質問を代わってもよろしいでしょうか」
意外にも残り一分の沈黙を破ったのは、賛成側が複数人を使った所を見逃さなかった真田だった。
 
「先程の立論では、授乳の話を挙げられましたが、女性であってもわいせつ物陳列罪ではないですか。女性専用車両では迷惑行為さえもはゆるされてしまうと、そうお考えですか?そもそも哺乳瓶を用意するなど事前に対策をすることでいくらでも防げた事を美談としてしたてあげても仕方がないでしょう」
 
「それともう一つ」、と真田は続ける。もはや彼は絹谷を待つつもりはなかった。
 
「他の国でも女性専用車両が導入されているというお話でしたが、それは他の国でも女性差別が行われているだけのことであって、男女差別でないわけではなく容認されてきただけですよね?つまり男女差別にあたる、と僕たちは考えていますが、そこのとこどうお考えですか!」
 
"か"を強く発音したところでメガネが終了を告げる。絹谷は晩御飯のことについて考え始めていた。
 
 
否定側の反論が、とてもボリューミーであったのに対し、肯定側の反論は、とても簡素なものだった。開始の言葉が述べられ少しの沈黙の後、ロバは手はず道理に語りだしたが「監視カメラにプライバシーの云々」なんていうものはそもそも意見として通るはずもなく、真田の眉毛とともににべもなく一蹴された。場を持たせる為に、と言葉を続ける絹谷ではあったが憔悴しきっていた上に先程嘘八百を並べた時点で、もはや彼の頭に論理などはなかった。試合は、終結に向かおうとしていた。
 
「なんかさあ、絹さんしか喋って無くない?」
鹿目は、絹谷の名を口にする時は”さん”をつける。それは、彼に対する敬意の表れではなく、単に浪人した絹谷がひとつ歳が上だからだ。
「せやな、女側やる気なさすぎ」
 
「元々やるって言い出したのが、特にうるさいあの子なのに絹さんばっか喋らされるのもなんかかわいそうやな」
 
「言ったらええやん」
 
「え?」
 
「だから、絹しか喋ってないのはかわいそうって言ったらええやん」
 
「みんなの前で聞こえるようにってことよな?いや、さすがにそれは‥」
 
「じゃあ俺が言うわ」
 
「え?」
 
「おーーーーい」
 
「絹しかしゃべってへんやんけー!!!」
 
「絹 しか しゃべって へんやんけーーー!!!!!!」
 
反駁へのシンキングタイム中、狭山の声が教室に響く。狭山のその声は、素晴らしく派手な立論をした高木の声量と遜色がなかった。声は教室中の私語のざわめきを消した。明らかなマナー違反。言われた側となる女性達の心情を一切無視した一言。ただの暴言。しかし、誰も狭山を直接非難しない。それは、彼の見た目が怖いから、というのも一つの理由だろう。しかし、本質はそこではない。本質は、狭山の発言に皆が皆同意しているということだろう。
 
「おい、やめろって!」
 
狭山に制止をかけたのは歩く良心こと鹿目。一度目には面食らってしまったが、さすがの二度目に言葉を挟む。
 
「え?なんでなん?」
 
「いや、あかんやろ‥」
 
「でも絹しか喋ってないのは事実じゃない?」
 
「まぁそれはそうやけど。そもそもそんなことしてたら狭山さんも反感買うよ?」
 
「あぁ!大丈夫大丈夫。俺、学部違うから何しても許されんねん!」
 
そういって狭山はニッコリ、と笑った。
 
 
狭山の声はもちろん絹谷の陣営にも届いていた。絹谷は初めあまりの情けなさに幻聴まで聞こえだしたのかと思っていたが繰り返されたその声音に事態を理解した。自分しか喋っていない。この事実は、たしかにおかしい。だってこれはディベートなのだから。間違いを指摘した狭山、君はとても正しい。正しいが、君の一言でただださえ喋らなかったこの子達が、この子達が…
 
「反論は森村さんがやってくれたから、最後の反駁を斎藤さんにお願いしたいんだけど…大丈夫そう?」
 
「え…?」
 
「大丈夫じゃないよね。じゃあ最後は僕が簡単にまとめて終わるよ」
 
「いや、私やる。最後、やる」
 
「ホントに!?じゃあ宜しくね。内容はどうしようかなぁ」
 
「とりあえず、監視カメラの件に関してはもう反論しようがないでしょうし、他のとこから突く方がいいかもね」
 
ここにきてやっとまともな意見を差し出してくれたのは久本先生だった。あまりにも賛成側が意気消沈していたのを優しいこの人は、見逃さなかったらしい。
 
「先生!そっち側だけにアドバイス出すのは卑怯なのではないですか!」
 
「あなたは少し黙ってなさい?」
 
フハハ、そうだ黙ってろ真田。そもそもこっちは4体1でやってんだよ!死ね!
 
「先生、どうしましょうか」
 
「そうねぇ」
 
「あ、女性専用車両が男女差別だからといって、それに対して声があがっていない以上問題はない、というのはどうでしょう」
 
「うーん、どうかなぁ」
 
「時間になりました。肯定側最終弁論をお願いします」
 

 最悪だ。何を述べさせるかを決めないままに締め切りがきてしまった。少しばかりうるさい森村はまだしも、斎藤はディベートに参加がキマってからずっと体を小さくしているだけの女。行き当たりばったりで、何も話せるわけがない。突然の機転がきくわけもない。これは物語ではない。圧倒的不利な俺の陣に神が現れて、施しを与えてくれるはずも。

「…」 

なかった。

 絹谷は、決めなかった自分が能力不足だったと少し反省しながら、賛成側最後の発言を務めた。ああ、結局やるといった斎藤は何の役にも立ってはくれなかった。斎藤に「一緒にやろう!」と声をかけた森村もなんの力にもならなかった。森村についてきた熊谷は書記としてノートを書くことだけが生きがいと、少しも頭を働かしはしなかった。それでも、絹谷はそれらを受け入れ、彼女らを直接は責める気にはならなくなっていた。もちろんそれは諦念の気持ちがほとんどではあったが、最後の弁論中に1つ、別の理由ができた。それは、最終弁論の沈黙を破った音が「すん」という、斎藤の泣き声だったからだ。 

「以上、男性が痴漢被害を受けていない点、女性が被害を被っている割合が多い点から、女性が優遇されることは当然の判断とし、僕たちは女性専用車両に肯定します」 


女の涙は便利と言うが、ここまで人がいる中でわざわざ泣くなんてのは相当辛かったのかも知れない。散々足を引っ張られたのに結局、涙は足蹴にできないのだな。狭山が、羨ましい。 

 

 

 肯定側は結局9割9部絹谷が務めてしまったが、否定側はきちんとルールに添っていたらしく、立論高木、反論名取と来て、最後は真田が立ち上がった。珍しくメガネをかけている。メガネというのも不思議なもので、大学に入学した時期とはちょうど重なるように黒ぶちメガネが流行った。特に目元の印象が薄い人間はオシャレと称して一斉にかけ始めていたと思う。あとはオタク。貧弱なオタクはすぐにメガネをかけている。文学部においては、特にそういった印象を受ける。しかし、真田がかけていたそのメガネは、細い銀縁のもので、オシャレとも、オタクのメガネとも違って見えた。検察官が、こんなメガネをかけていそうだ。 


「肯定側によると、他国でも女性専用車両が導入されているとのことでしたが、それは単に他国でも女性差別が黙認されているだけのことであり、結果女性専用車両女性差別ではないということには、なりえないという結論に至りました」 

その通りだ、と絹谷は自分の手を見つめる。いつもより色が、白い気がする。 

「こちらが繰り返し述べている監視カメラの件においても、効果の無いものが使われている現状で、効果があるものが他に存在する以上、効果の無い女性専用車両は不必要であると考えるのが妥当と思われます」 

 真田はあくまでもたんたんと言葉を繋いだ。真田の発言を聞いている間、絹谷は説教を食らっている気分になった。悪いことなんてなにもしていないのに、何故か、正論というものを聞かされるのは実に惨めだった。間違っているのはあくまでも論なのに、今までの自分の人生すらも否定されている様な、そんな、気持ちになった。 

「以上で、否定側最終意見を終わります」 

 真田が語り終えたのは、審判が終了をかけるほんのすこし前。時間においても完璧で無駄な沈黙はなかった。そのことも絹谷を苦しめた。たかが授業のたかがディベート。別に後世になんの影響もない勝敗の結果。だから、ろくに準備もせずにのぞんだ。何も失わないからととても気楽なはずだったのに、結果、真面目な人間に打ちのめされてしまった。真面目なんて捨て、斜に構えて要領よくひょいひょいとやっていればそこそこ女の子にモテるから、それでいいと思っていたのに。 


「それでは以上でディベートを終了します。結果判定に入りますのでしばらくお待ちください」 

バカバカしいと思っていたことに、真面目に取り組んだ彼らは、随分と楽しそうに見える。 


 

「はー終わった終わった!」 

「おつかれ!」 

「ぅえーい」 

 シンと静まり返った肯定側の机とは対称的に、否定側の机は大勝利の予感に盛り上がっていた。授業中ではあったが、そんなことは関係ない。だって、暇なんだもの。 


「いやーもうこれは結果なんて待つまでもないな!」 

そう断言する真田の声はいつもより高く、大きかった。 

「ドヤさんのおかげで楽やったわ、ありがとうな」 

「高木も頑張ったんちゃう?」 

「まあ、読み上げるだけやしな」 

「いや、でも高木の立論よかったわぁ〜!」 

ディベートが終わりインテリヤクザの演技をやめた名取は、援交中の女子高生の容姿を賞賛するような声で高木を褒める。 

「人前での発声は高校で鍛えてたからな!」 

「お前も俺と同じで放送部だったん?」 

「いんや。潮見の授業」 

「だれやそれ」 

「国語の授業、おもろいからってやたら音読させられててん」 

「どういうこと?」 
 

 発声の話で盛り上がり始めた高木と名取を横目に真田は、書記の平野のノートを手にとった。発表の間こそ目立ちはしなかったが正直今回のディベートは、このノートの存在が大きい。合間合間のシンキングタイムでは随分と役に立った。というのも、平野がまとめたノートには絹谷のだらだらとした発言が殆どそのままの形で書かれていた。最初のシンキングタイムで初めてノートを見た時には随分驚いた。要点毎に書いてあるだろうとまとめられていればそれでいいと思っていたのに、まさかそっくりそのまま書いてあるとは思わなかった。どうしてこんな書き方をしたのか、と問うた時彼は「要領が悪いから、変にまとめるよりもこっちのほうがいいかと思って」と答えた。多少抜けているところはあったが、それでも発言を文章にしたのだ、文量はとても多い。中学の頃から活字ばかり追ってきた真田は、文章を脳内で音として再生することなく画像として読み込むことができる。所謂速読の技術ではあるが、小説以外ではとても役に立つ技術だ。クソ天パへの反論は、彼の発言のおかしい所にアンダーラインを引いて、それを元に組み立てた。あいつらの論は何一つ通ることは無かっただろう。さて。 

 
「結果が、たのしみやな」 
 
「はい、静かにしてくださーい」
 
「それでは判定に移ります」
 
審判を務めるメガネの発言によりざわついていた教室も少しだけ私語が消えた。ディベートの結果もとい勝敗は仕切っていたメガネの他、普段メガネと仲良くしているいかにもなオタク女子たち三人で協議されたらしい。そもそも、先生がどうやって勝敗を判定するのかを詳しく教えてくれなかった為にどういった形で勝敗が決まるのかは肯定側にも、否定側にもわからなかった。
 
「みんなで話し合った結果ですが、まず否定側立論の要点三つ〈犯罪防止として機能していない〉〈男女差別である〉〈56号車に導入されていることが多く階段近くで混雑の原因となる〉の内、最後の意見に関しては、大学の最寄り駅である◯◯を例に挙げた場合成立しないことから却下するものとします」
 
真田は、こいつは何を言っているのだろうとおもいながらも声には出さず首をかしげた。高木に語らせた立論三の内容はこうだ。二階から一階に降りる階段がある大きな駅の場合、その階段の先が女性専用車両に近くなり、結果男性の乗ることのできないその車両は混雑の原因になるということ。しかしこのメガネが言っているのは、うちの大学の最寄りの小さな駅。たしかにあの駅は階段をおりた先が女性専用車両ではないが、それはそもそも論点のすり替えだろう。雲行きが怪しい。
 
「そして、賛成側立論の〈女性を痴漢から守れる〉〈男女比から女性専用車両を作るほうがコストがかからない〉〈子連れの女性にとって有用〉の三点は全て論が通るものとします。
 
おいおいおいちょっと待ってくれ。あいつらの立論に関しては反論や反駁できちんと批判したはずなのに、話をきいていなかったのか。
 
「よってこのディベート、肯定側の勝利と致します」
 
 
 
「よっしゃ!!タバコ吸いに行こ!!」
 
「あ、出席表書いたし俺も行くわ。鹿目すまんけど俺の出席表出しといてくれん?」
 
「え、良いけどさ」
 
そう言い残して狭山と持田はまさかの勝利判定にざわつく教室を縦に横切り喫煙所へと向かった。狭山はそもそも他学部の人間だから良いとして持田も出て行ってしまった。まあ、たしかにディベートが終わってしまったから、もう何もすることがないのは事実だ。けれど、ああやって少しも人を気にすることなく即決で行動できるのは凄いな、と鹿目は変な所に感心した。
 
結局、ディベートに多くの時間を使った為に授業自体は、来週から始まる全員参加のグループ毎ディベートの半決め、題目決め程度で終わった。タバコを吸いにいった持田は正解だったかもしれない。
 
 
 
 
激動の1限が終わり、高木達は長めの昼休みに入っていた。大学の授業は一コマが90分で、かつ高校の時みたいに1限から6限まできっちりと授業が埋まっているということでもない。学生は、取らなければいけない授業を好きなように時間割に組み立てるのだが、たいてい134とか24とか12とか25なんて時間割になる。なお、朝から晩まできっちりと埋まっていないのは学生が怠惰なのでは無い。一年にとれる授業数が大学によって定められているから自然とスカスカな時間割を過ごすことになるのだ。高木達が所属する国文学科一年の月曜は多くの学生が134の授業を取っている。よって90分の空きコマ足す60分の、長い昼休みが出来上がっていたのだ。
 
「でもまさか負けるとはなあ」
 
そう呟いたのはディベートにおいて一番力を入れていた真田だった。正直、まるで納得の行かない結果だった。そもそも立論のみを判断材料にするのであれば最初から反論とか反駁をさせるなよ。
 
「まあでもドヤさん。絹はうなだれてたし女性陣は1人泣き出したのおるしまあ試合には負けても勝負には勝ったでしょ」
 
「え!?泣いたやつおったん?うわー見たかったなぁ」
 
こいつもたいがい畜生である。
 
「でも楽しかったからええけど、ドヤはなんで今回のディベートこんなに力いれたん?」
 
「ああ、あいつらの中で一番うるさかったやつおるやろ。この授業とは別の授業でたまたま近くに座った時に話しかけられてん」
 
「なんて?」
 
「いや、いきなり話しかけるから何かと思ってんけどな。いきなり、真田くんってかっこいいのに"どうしていつもあんな気持ち悪い人達と一緒にいるの?"もったいないよって言われてん」
 
「ええ!?」
 
驚きを表そうと名取は首から上を前に出す。表情は憤慨というよりも、信じられないといったもの。
 
「な?酷いやろ。お前らのことも、俺のことも侮辱するのは許せんかったわ。まあお前らが気持ち悪いのは事実やけどな。でもちゃうねん。なんでろくに話したこともないブスにいきなりそんな失礼なこといわれなあかんねん」
 
「オ゛オ゛ン゛ミーは気持ち悪くなんてないニ゛ャア゛」
 
「いや高木、一番気持ち悪いのはお前やで」
 
「はーでもそんな理由があってんな」
 
「実際やってて楽しかったけどな。泣かしたったしとりあえずは満足かな!」
 
 
真田は気付いていなかった。この発言を近くの女に聞かれたこと及び、ディベート時の立ち振舞が怖く見えた2つのことを理由に学科内の女性の大顰蹙をかってしまったことを。
 
タバコというのは害ばかりだ。世間的に言われている肺がんリスクの話など知らないが、個人的に辛いのが連続して吸った時に起こる、軽い一酸化炭素中毒だ。お酒に酔った時以上に脚はふらつく気がするし、何より頭も痛くなる。さらに、元々ニコチンというものはコーヒーよりも覚醒作用が強い。変な目の冴え方というのは集中力を邪魔するし、まあ悪いことばかりだ。各国が規制に躍起になるのも頷けなくはない。しかしそれでもタバコがやめられないのは、音楽との相性というのが抜群だからだ。人間は案外マルチタスクのできない生き物である。それは例えば、音楽を聞きながら勉強をした時、勉強内容に集中してしまえば音楽が聞こえなくなるのと逆のことで、音楽を真剣に集中して聞こうと思えば、文章などを目にいれないでおく必要がある。文章と言っても本などに限ったものではない。身近なもので大量に文字を表示するものに携帯電話スマートフォンがある。これは本当に音楽に集中することを阻害する。それでも大学生というものは携帯を触らざるを得ない人間なのである。チカチカと光ランプはいくら消してもしきりに表示されてしまうし、気になる女の子なんていた日にはランプの幻覚すらも見えてしまう。携帯電話は邪魔だ。存在が邪魔だ。音楽を聞くのに本当に邪魔だ。
 
その点タバコはいい。訳五分程度の燃焼時間は、五分の曲を聞き終えるのにとても適しているし、なにより片手が埋まる。結局タバコを吸うという行為はただの深呼吸と変わりはしないから、音楽のみに集中できる。音楽をきき”ながら"タバコを吸うという別の行為をしているのにも関わらず、あくまでも主役は音楽のまま。ああ、なんて素晴らしい。ああ、早くイヤホンを差し込みたい。音を直接延髄に響かせてやりたい。このクソみたいな慰め合いは俺の精神には何一つ良い作用をもたらしはしない。
 
絹谷は、空きコマの2限を含めた長い昼休みを、いつもつるんでいる高木達とではなく、賛成側のディベートの女子3人とそいつらと仲良くしている体育会系の人間1人と過ごしていた。ディベート自体が終わってしまったのだから、絹谷はいち早くその場から逃げるべきであったのにも関わらず、泣き出してしまった女の子に少しの責任を感じてしまって軽く励まし終わるまでは、とそいつ達の傍から離れられなかったのだ。
 
「ねえほんとミホリン大丈夫?」
 
ロバはやかましいなりに"女子らしく”気遣いはできるようで先程まで軽く涙を流していた斎藤に向かって世話を焼いている。
 
「うん、もう終わったし大丈夫だよ」
 
「よかったぁ。でもわたしたち勝ったんだしさ、終わりよければ全てよしってことでもうわすれちゃお?ねっ」
 
「うん!」
 
簡単な諺は知っていても山高きが故に貴からずなんて言葉は知らないのだろうなと、くだらない慰め合いにうんざりし思わず目をそらしてしまった絹谷に、ロバはずけずけと話をふってきた。
 
「ほんと絹谷くんありがとうね。絹谷くんがいてよかったぁ」
 
あまり褒められる機会がなかったので、まあこういった形でも感謝される気分は悪くは無かった。プラマイではマイナスのままだ。
 
「でも正直勝てるとは思わなかったかな。むしろ役立たずで申し訳なかったよ。どうやら、真田が事前にかなり調べてたみたいで、あそこまでやってくるとは思っても見なかったよ」
 
「絹谷くんもめっちゃ調べてなかった?」
 
「いや、まあ、頼まれたからね」
 
ああ、あの嘘八百か、と少し焦るがもう終わったことなので、濁しておいていいだろうと絹谷は口をつぐんだ。
 
「でもさ」
 
「ん?」
 
「あそこまでやるなんて真田くん、酷いよね。話し方も凄く怖かったし睨みつけるように話すことなんてなかったと思う。絹谷くんもそう思わない?」
 
凄い。あいつは真面目に授業に取り組んだだけなのに勝手に酷いことをした人として認定されている。女の涙と友情侮れない。
 
「うーん、たしかに男の俺から見てもあいつ怖かったね。斉藤さんが萎縮しちゃうのも分からなくはないかも」
 
「ね!絹谷くんもそう思うよね。やっぱり変な人達と一緒にいるから真田くんも変なんだね。みほりんも可哀想。真田くん謝ってほしい」
 
変、と言われたことが少し気にはなったが、それは事実だしな、と反論をしたりはしなかった。それよりむしろ気になったのは真田が勝手に加害者にされてしまったことだ。凄い、四足歩行生物の論理凄い。
 
「謝らせるのは無理だろうけど(そもそもあいつは暴言の1つも吐いていないし)今後関わるのを避けた方が無難かも知れないね」
 
真田が少し可哀想にも思えたがそもそもこいつらや国文の女子に嫌われたところであいつにとっては屁でもないだろうなと「そうだね」と「すごいね」を多用しつつ話を聞いていると、やっとこさロバはお手洗いにと場を去った。やれ幸い。
 
「ところで斉藤さん、斉藤さんは本当に真田が怖くてあんなことになっちゃったの?」
 
「え。実はね」
そう言って斎藤は顔を上げた。絹谷が斎藤の顔をまじまじと見たのは、これが初めてだったかもしれない。小さな体躯にお似合いなそれなりに可愛い顔をしていたが、少なくとも絹谷の好みではなかった。
 
「絹谷が、あんなに頑張ってくれてたのに、何もできない自分が情けなくて、その」
 
その、と言った割りには次に続く言葉は見当たらないようだった。なかなかに可愛らしいセリフだった。可愛い女の子が頑張ろうとしてくれた。そこは喜んでも良いところなのかもしれなかった。しかし、実際ひどい目にあった後にそんなことを言われた所で嫌悪感以外は湧き上がらなかった。斎藤は、泣くほど辛い思いをしたのかもしれない。それは本人にしかわからない、けれども。
 
「私は泣くほど辛い思いをしながら頑張った。だから許して欲しいと、つまりそういうことなんでしょ」
 
絹谷は、幽体離脱させた自分の体にそう言わせ、本体の口で「そう。俺の為にそこまでしてくれてありがとう」と答え、真田たちの席へと向かい昼食をとった。その日の晩、生まれて初めて自分の家で飲むための500mlのビールを買った。結局飲み切ることが出来ずに、シンクに流した。