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あくつけき

日記みたいな

覚えろと言われたことを覚えるな

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かっこいいとか美しいとかそんなちゃちなものじゃあないわ

 

閑話休題

 

なんか、忘れるべき人から連絡が久しぶりに連絡があって、その人のことは「忘れたい」と思っていたし、実際に忘れていたのだけれど、忘れたいものを忘れて、忘れたくないものをやっと忘れられるようになってきたのかな、なんて淡い期待を抱いてしまった。

 

誰にも、

〈忘れたいけど忘れられない記憶〉

〈覚えていたいのに忘れてしまう記憶〉

〈忘れさられた記憶〉

〈覚えておく必要もないが忘れる必要もない記憶〉

なんてのはあって、特に一番目の〈忘れたいけど忘れられない記憶〉なんてのは苦しめられる人も多いんじゃあないかな。まあ、俺の友人にはそういう経験がなさそうな人間もいるけど笑 失恋などに拘泥しない人や、常に前を向ける人には尊敬の念しかわかない。

 

大学教授であり、本当の意味で〈変わっているな〉と思える人は、インプットの情報が凄い。なんでもかんでも吸収しているものだから、この人の脳内にある情報を可視化できたらどんな創作物が出て来るのだろう、なんて思うことがよくある。

 

俺は、昔から「そんないらないことばかり覚えて。もっとまともなことを覚えなさい」と言われることがとても多かった。でも、これは勉強を真面目にしなかった人間はみな似たようなことを言われてきただろうと思う。

 

そういうことを揶揄的に言ってしまう人は

「(私の目から見て)瑣末なことを覚えている時間を、もっと役に立つことを覚える時間に当てれば、あたなの人生はもっと豊かになるのに」

と、いうことだろう。

 

「何を選択すれば、何にぶつかれば人は「楽しい」と感じられるのか」というのは、わかるようでわからないのが当たり前だ。話は変わってしまうが、だからこそ

「容姿端麗、秀才、金持ち、親の期待を受けて将来は安定、でもそれでも俺はもっと別の人生を生きるぞ!!」

みたいな漫画が大量に生まれるんだろうな。

 

だが、もしも

「(私の目から見て)瑣末なことを覚えている時間を、もっと役に立つことを覚える時間に当てれば、あたなの人生はもっと豊かになるのに」

の私の目が、権力であったなら、瑣末なことばかり覚える人間というのは社会からいらない人間ということに単線で結びつくのだろう。

 

ちなみに俺の記憶の中で一番古い記憶は、保育園の年中組の時の記憶。シンクに流れていく水が作る渦に惹かれた記憶だ。渦の回転は水と共に勢いをましある一点で逆回転を始める。しかしその逆回転もつかの間、最後には回転すらも維持できず崩れるように排水口へと落ちていく。

 

そんな、今見たら何が面白いのかまるでわからない記憶がはっきりと残ってる。しかもエピソード記憶ではなく、そのシンクがどういう形であったのかすらはっきりと。なんなんだろ。