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あくつけき

日記みたいな

中学のころから今まで「生まれる時代間違えてるよね」と言われ続けたからそろそろ世界が俺に合わせてくれてもいいと思う

漫画 雑記 日常

誰の周囲にも、多分、名は以前から耳にしていても、じっさいには読む機会にめぐりあうことなく、歳月がすぎるといった作家や作品はたくさんあるだろう。そのあいだも、その人の名や作品についての文章を読んだり、それらが話に出たりするたびに、じっさいの作品を読んでみたい衝動はうごめいても、そこに到らないまま時間はすぎる。じぶんと本のあいだが、どうしても埋まらないのだ。

須賀敦子ユルスナールの靴』

 

 

 

クリスマスであるにかかわらず、どようにちようと続くやすみの日を、一歩も家からでないままに過ごすのは随分味気ないと思い、家の近くの喫茶店で、こうして文章を打っている。この店は、季節の飲み物が随分と豊富なので、今日はためしにとマロンのミルクティーを頼んでみた。

 

運ばれてきた紅茶はティーカップではなく、カフェオレボウルに注がれていた。「もしかして普通よりすこし大きいだけのカップではないよな?」と、ぐるりと見渡してみたがどうにも取っ手がない。これはカフェオレボウルで間違いがないようだ。なんかいいな、こういうの。江國香織っぽい笑

 

 

ユルスナールの靴』を読み終えて帰宅。

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

西UKO『コレクターズ』2巻が22日に刊行されたので、一日遅れの23日に購入。最高だった。

 

『コレクターズ』の一巻を初めて手に取ったのは三年前の初夏。その日はおやつの時間あたりに友人と屋外でのビールまつりに行く約束をしてた。三年前の四回生は、院進に向けて英語の勉強をしている時期ではあったけど、授業もほとんどなく、人生で一番本を読んだ時期だったように思う。なんか随分懐かしいな。あの日はたしか、買ったばかりで少しきつめのリップヴァンウィンクルのポロシャツを着てたはず。

 

ってかその日のこと、昔のブログにちょろっと書いてた笑 小川洋子『ホテルアイリス』を電車の中で読み終えてから、丸善ジュンク堂中山可穂『愛の国』と一緒に『コレクターズ』を買ったらしい。今思えば、後者の二冊はどちらも自分にとって大切な本の一つになっているな。

 

ダメだ、午前中は随分と体調が良かったのに腕が上がらなくなってきた。

弱ったな。ストレッチでもしてみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただいま。

ストレッチというのも変だなと思い何年かぶりにラジオ体操をしてみた。汗をかいた。完全に運動不足だなこれ。

 

ああそうそう。『コレクターズ』は最高の形で完結を迎えてくれたと思う。文系の博士課程の現実をちゃんと踏まえつつのエンドは素晴らしいに尽きる。うん、ほんとに、感動した。作家さんにイラストまで書いていただいたし、間違いなく人生の一冊。(二巻本だけど)

いや、本当に素晴らしい漫画だな。

 

と、ここまで書いてみたところでまるで筆が進まなくなってしまったので、改めて一巻を読み直して見たのだけれども、人の記憶というものは本当に曖昧で信用がならないものだと思った。

 

二巻の最終話は、一巻の第一話の伏線、つまり二人が抱えたもやもやを、最高の形で回収していたんだな。「あーこれにはチェーホフもにっこりだね」なんて忍みたいなことを呟いてみたくなる。

 

ああ、やはりいいな。イデアリスト忍のロマンチシズムに惹かれるリアリスト貴子と、圧倒的過ぎる現実の美しさを内包する貴子に惹かれる忍、これ以上ない関係の〈二人〉だ、すばらしい…

 

天野しゅにんた『philosophia』も最高だったけど、やっぱ百合と文学って相性がいいのかな。『philosophia』に出てきた知は「悟性」という言葉を使ってたことから西田幾多郎好きという設定はあったのだろうし。ギャグ漫画の『ゆりキャン』も中山可穂出してたし、単純に俺が好きなだけなのかな。

 

本コレクターの忍と服コレクターの貴子、興味関心のベクトルがまるで違う方向に向いている二人が結びつく、というのはようするにイデアとリアルが相互に離れがたくブス美ついているということに他ならない。本は結局無くても生きていくことができるものの一つで有る一方で、貴子が物語内で主張しているように、衣食住とは保証されるべきものの一つ。必要のないものを探求する人間と必要でしかないものを探求する人間。

 

そんな二人の根っこにある思想が、絡み合うっていいなあ〜哲学のシンパシーだな〜

 

 

 

多分『コレクターズ』は誰が読んでも「最高の漫画だ!!」となるわけではないのだろう。一応、『百合の世界入門』で紹介されたことから考えて、百合好きの目には傑作に映るのだろうとは思う。

でも、自分の周囲ではというと、会う友人に会う友人にたいし、地方から取り寄せた高級な果物を分け与えるかのごとく勧めたのだけど、あまり芳しい感想が返ってこなくて、がっかりした経験がある。日本語がおかしいことは理解できるけど何処直したら良いかわからないところにクリスマス特有の精神的ダメージを感じる

 

 

でも、繰り返しになるけど俺はこの漫画がとても好きだ。好き、というより刺さったんだよね。共感?

 

俺は結局大学院生だし、「ブリン」といった言葉からデイヴィッド・ブリンが連想できるし、後は例えばこんな会話 ↓

 

  

「あねえここ評判のお店なんだってお昼食べていかない?」

「うわ高っこんなんに四千円出すならみすずの本買うよ」

「(TJラング展を指しながら)あ、これ明日までだったんだ観とこうよ目録も欲しいな」

「えーこれ雑誌で見てたじゃない四千円出すならストールの方がいいわよ」

「「もーなんでそういう事言うの!?二人で楽しもうって思ってるのに!」」

西UKO『コレクターズ 1』白泉社

 

この会話を見て「あーたしかにみすず書房の人文系買ったら4千円で微妙にお釣りが来る感じ凄いわかるーーー!」って共感を覚えてしまうから、刺さったのかな。ああ、たしかこの件も漫画は会話として現れていたな。少し引用。

「どうしてそんなに本を読んでるのに私のどこが好きかを聞かれた時に碌に論う事もできないの?」といった不満を抱えた服好きの方の女の悩みを解消する為にその女の友人が本好きの彼女に理由を尋ねた時の返答。

 

「難しい言葉を使ったからって正しく表現できるってわけじゃないよ。要は実感するかどうかって話。逆を言えばさ、貴子は言葉に対してたくさんの実感を与れる。例えばさ、「救済」なんていうのは本当に何かから救われた経験のある人だけがその言葉の真実を知ってる。自分の辞書に実感した重さが書き加わる。貴子は私の辞書のたくさんの言葉を置き換えるよ。それは本で学ぶだけでは得られないものなんだ。」
「ふーん、それって例えば?」
「そうだな・・・「うっとり」、とか」
西UKO『コレクターズ 1』白泉社

 

やはり物語を深く感じるためには、物語だけでなく、自分の人生という物語もある程度深化しないとだめなのだろうな。うーん、それにしても最近は灰色の日々だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忍「きっとあの子は陽光さえ支配する白昼のSuccubusだよ」

 

西UKO『コレクターズ 1』

西UKO『コレクターズ 2』

 

 

 

 

いや、ホントひっでー記事だなこれ。