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あくつけき

日記みたいな

学のない人間は自らの経験のみから「学を貫く何か」に触ることができるか

【今後加筆予定のメモ書き】

 

 

「病い」は自身に思考を生むきっかけとなりうる場合があるのかもしれない。ということで。

 

 

 

「病い」、それは例えば癌に始まる死と強い結びつきをもつもの。希死念慮を働かせるきっかけにもなる精神病。これらは、間違いなく「病い」であって、間違いなく当人において強く作用するものではあるが、あくまでも外部からくるものだ。

 

人は健康体から自然に病体に変わるわけもない。老いることは避けられないこととはいえ、「さあ〜て、今の身体は健康以外のなにものでもないのだけれど、なんとなく病体になってみるか」なんて、体自身が自ら病体に変化するということはおそらくありえないことなのであろう。

 

健康なからだは、ストレス/ウイルス/過労/栄養失調etcなどといった外部からのファクターを得て、初めて病体となり、「病い」は"からだ"を蝕んでいく。

 

しかし不思議なのは、からだだけを蝕んでいるはずの「病い」は、ほぼ確実に精神にまで強く作用することだ。例えば風邪に苦しんでいる時なんてとてもわかりやすい。

「あなたは風邪にかかっています」と宣告された時、ぼやぼやとした頭でまず最初に考えることは「なぜ自分は風邪にかかってしまったのだろう」に違いがないはずだ。

 

「子供の多い場所に長時間いたから」

「乾燥した空気の中対策をしなかったから」

「ストレスで免疫力が落ちていたから」

 

などなど、「病い」の原因を探求することは、人としておそらく当然のことだろうに思う。

なぜなら、今現在風邪にかかっているあなたは、この状態から逃れたくてしかたがないからだ。

 

だが、今現在の風邪の原因というものは、自分の中にあるように見えて、実はそうではない。風邪を例えに出してしまったからそのまま続けるが、病原菌というものがこの世になければあなたは風邪にかからなかっただろうし、外部からの強いストレスが襲いかかってこなければ、あなたは風邪にかからなかったからだ。

 

しかし、現実問題として、この世から病原菌をなくすことや、ストレスというものを消し去ってしまうことに多大な労力を払うのは大変な手間がかかる。まず不可能だろう

だからこそ、風邪におかされた人は、周囲の現状(病原菌撲滅など)を変えようとせず自分を変革しようと、自分の中にあるものに目を向け、言葉などに置き換え、認識し、然るべき変革を遂げる。

自らが変わらなければつらい現状から逃れることができない、つまり、「病い」は自らについて考えを巡らすーそれは感受性が鋭くなるなどの状態も付与されてーきっかけを産む。自分について深く考えを巡らすことによって自己が産まれる…産まれなおす?

 

 

 

【暗喩としての「病い」の例】

人を暗喩としての「病い」とへ導くとされるもの(思考を発露させるもの/自分について深く考えることのきっかけとなるもの)

 

音楽/文学/ブラック企業への就職/DV/いじめ/絵画

 

これキリがないかな。自分にとってのものだけ考えるなら中学の入学式で向けられた好奇からくる侮蔑の目/恋愛/精神病/音楽/小説/古典/頭に書架を抱える人

 

 

ぜんそくで保健室からグラウンドを眺める少年少女へ向けられる憧憬。

 

音楽と病いの共通性。今後生み出したいのは?

→他者への「病い」

 

恋人を通して実感される自己と、自分自身が認知できる自己を天秤にかけた時に後者を選んでしまう人間に恋人はいらない。ロマン。鏡像段階の先。