あくつけき

日記みたいな

カニマロフ虫

ここ半年間くらいで、ようやっと金曜日というものが好きになった気がする。

 

朝が早いわけではないので、社会人と比べ飲みに行く曜日に困るということはない。学生生活が終わりを迎えようとして、その大切さを意識するようにはなった。ただ、「失って初めて気付く」なんて使い古された言葉に対する実感は未だわかない。あの言葉は、満たされた人間のみが使うことができる。愛とか、恋とか、人とか、時間とか、健康とか、そんなところか、まあいい。結局何が言いたいかといえば、憧れがあるものというのは、失った時よりも手に入った時のほうがうれしいだろうということだ。失った時、大切さがわかる?そんなの悲しいという尺度で測っただけだろう。高揚感を抱えた、その時だけを反芻し、悲しみなんて追いやってやればいい。

 

それができないほどの深い悲しみに包まれているなら?

 

そんな、高揚感すら消してしまう悲しみをもってくるものは、君にとっては大切なものなんかじゃあなかったということさ。

 

 

 

 

 

 

金曜日が好きになったのは、金曜日にそのまま出かけてしまえば、何もない日、というのが一日増えたきがしてくるからだ。最近は出かける、というのにも随分体力を要するようになったし、加えて俺は一人だと夕方から夜にかけての遊びしか楽しむことができない。買い物、お酒、喫茶での読書、映画、これらは別に午前とか昼ごろから出かける必要がない。なら、なにもない日にわざわざ着替えて出かけるよりも、そのまま遊びに出かけるべきだ、と、そんな感じだ。

 

元々人には「仕事など公の姿」「プライベートな姿」「完全に一人でいる時の姿」の三つがある。言い換えればパブリック/プライベート/アローン(?)といったところか。

 

プライベートは、パブリックに比べれば自由度がきくのだろう。しかし、結局外にいればすっぽんぽんで歩くことはできない。外界には他者が生息している以上、何の制約をも受けない、なんて事は殆ど無い。性的嗜好及び表現の自由が叫ばれるコミックマーケットであっても盗撮犯はきちんと捕まるし、社会体制に疑問を抱いたパンクバンドのライブでもノレない人間ははじき出される。同調することは生きていく上で必要なことの一つではあるし、俺自身、人と合わせることを服を着替えるように楽しんでいるので、そこに対しては別に強い疑問を持ったりはしない。

 

ただ、プライベートに始まる三つの姿(時間)のバランスが著しく乱れると、精神的には疲弊するよねって話。仕事一辺倒になれば「自分の時間がほしい〜」ということになるし、遊び一辺倒になれば「なんか将来不安だ〜」ということになるし、完全に一人でいる時間が極端に減ると、「自分は誰なんだろう」といった、中学生みたいな疑問が浮かぶ。

 

「自分は誰なんだろう」といったクソみたいな不安は、たいてい仕事や遊びなど「社会」というものに属して、その集団での立ち位置が定まれば次第に消える、いや、考える事ができなくなってくる類のものなのだろう。でもそれは、人が死んでしまうよりも、よっぽど悲しい出来事のように思う。現に、今自身の間近にいるあの人達は、生まれ変わり立ち代わりながら、生き続けているのだから。

 

四半世紀生きて、ようやく自我が目覚めだすというのも愚かな話だな。

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、金曜日は夜まで喫茶店で本を読むつもりだったのだけど、海外留学中(放浪中?)の友人が、

 

「新走りも秋刀魚も松茸も食べられない俺の気持ち、お前にわかってたまるか!!」

 

なんてことを言うもんだから、せっかくだしと一人で日本酒の飲める立ち飲み屋へ。夏以来だったから少し久しぶりになってたな。当てつけっぽいが彼は彼で海外ならではのおいしいものをたっくさん摂取しているはずだから俺の性格が悪いなんてことは決してない。…笑

「うちの芝が一番青い!」なんて、中々言えないものだな。(15の午前、大量の料理画像送られ全力シット)

 

日本酒食堂SO-KENは阪急中津駅の目と鼻の先にあるカウンターあり、立ち飲みあり、テーブルありの細長い飲み屋。日本酒がセルフサービスな気軽さもありつつ出て来る食事は感動を覚えるレベルで「なんか今日てきとうな店で飲みたいな」なんて気軽さと「今日は◯◯って大切なとこで食べたいな」なんてきっちりさどちらも満たす感覚。

熊本のことを考えながら雲雀を飲みつつ(最近雲雀好き)、ぶり大根、牡蠣の昆布締め、あさりとしいたけの酒蒸し、揚げ出しを食べて気持ちよくスカイビルへの道を歩く。日本酒は「キメるぜ!」ってスタンスでも飲めるし「味わうか〜」ってスタンスでも飲めるからいいんだよな。

 

そのまま梅田の街を散歩しながらバーに行ったら、年末に会った知り合いが連絡先を知りたがってくれてたと、嬉しい情報を知ったので、そのまま人伝に交換し、二人でミナミでちょうど良さそうなクラブに参加。年末も思ったけどFUMIってDJ好きだなー知らずにいったけどVJも超好みだったし最高だったな。

 

 

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写真って載せちゃっていいのかな。

 

 

 

 

 

んでんで、朝までいたせいでふらふらなまま帰宅。次の日は通販のインターホンでの起床笑

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「落ち着きのあるアンバー」ってすごい名前だよな。そのまま疲れを取るべく、インセンスに癒やされながらお昼寝したり、漫画を読んだり、ドラマを見たりetc…

 

有意義な土曜だった。

 

 

 

マンガワンというアプリで『おやすみプンプン』が全巻読めたから、はじめて浅野いにおの漫画を読んだわけだけど、なんか、プンプンがやったことと、小野寺さんがやったこと全部自分が20代前半にしてきたことと妙にかぶって笑ったな。曖昧な関係の女友達が妊娠して、その子を育てることになったなんてことは起こり得てはないけど、高校時の振られ方とその後の関係性と、罪の意識によって生きていたことに絶望することと、自分の発言で人が傷つくことを知ってからの身の振り方と、極端な自己評価の低さと、結局、「誰かと一緒じゃないと生きていけないこと」と。

うーん、なかなか。

 

 

プライムビデオで不真面目に見たドラマは『東京女子図鑑』

東京女子図鑑シーズン1をAmazonビデオ-プライム・ビデオで

 

四話がなかなかおもしろかった。特に興味持ったのはこの会話。

 

女「ねえ、女は金を持ってる男を選ぶなら男は何を持ってる女を選ぶの?」

男「ん?」

女「あの金持ちは何を選んであの女と結婚したの?」

男「何もない子。自分の夢とかビジョンとか一切なくて、男のそれを無邪気に応援してくれる子」

 

これは真理だろうなー。 金のある男は結婚をするだけで社会的な信用が上がるわけだけど、それとは逆に金のある女は何もない男を選ぶと社会的な信用が失われるから、まあ、不平等な社会だな

 

 

 

 

 

  人はなぜ追憶を語るのだろうか。

 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。ーーだが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻を無意識に続けながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。

北杜夫『幽霊ー或る幼年と青春の物語ー』(1975 新潮社)