あくつけき

日記みたいな

むかしばなし

コンビニでおにぎりを数点手に取り、これで今晩のお腹はみたせるだろうか、などと考えながらコンビニ内をさまよっていたところで、四年前突如として自分の前に現れた女性がこんなことを口にしていたのを思い出す。

 

「大学のコンビニで、サンドイッチとおにぎりを買う女の子が好き。主食はどちらかでいいはずなのに、よくばって買っちゃうところがとてもかわいく愛おしい」

 

当時、そんなことを気にもとめていなかったので、その言葉が告げられた時には衝撃だった。他者とかかわらない限りは決して得られなかったであろう、自分の中にあったもの。ここで思い出したのも何かの縁、とおにぎりには決して合わないであろうソーセージパンを買った。

 

コンビニに関する話題で自分に衝撃を与えた女ならもう一人いる。「カップうどんに湯を入れたが直後、かき混ぜながら食べ始めた女」だ。

 

たしかその日はその女と海外放浪中の友人と三人揃って初めて飲んだくらいの日だったように思う。あまり見知った仲というほどではなかったにも関わらず、あれよあれよという間にその日は盛り上がり、終電を逃してそのまま俺の家で朝まで過ごすことに。海外放浪友人は朝早く電車に乗って自分の家へと帰ったが、カップうどんの女はその日は何も予定がないとだらだらしていた。

 

「ねえおなかすかない?」

「たしかに。コンビニでも行くか」

 

最寄りのコンビニは家から徒歩一分。スーパーやドラッグストアに比べれば高いが利便性をお金で買っているのだから仕方がない。たしかその時俺はカップヌードルを買って、彼女はお湯を注いで5分待つタイプのうどんを買っていた。

カップは二つだったが、お湯を注ぐのに二人はいらない。台所でヤカンに火をかけ、沸き上がるのを待つ間、彼女はたいして面白くもなさそうなテレビをダラダラと眺めていた。

湧き上がったヤカンを片手にカップ麺にお湯を注ごうとした時に、以前カップ麺のことで随分叱責されてしまったことを思い出した。

 

「ねえ、どうしてお湯を注ぐときに一言きいてくれなかったの?わたしは線の一センチしたでお湯を止めるのが好きだったのに」

 

とても悪いことをした、いつもよりも美味しくないものをたべさせることになって本当に申し訳ないと、平謝りしたのを覚えている。消えない記憶。もう二度と同じミスをしないようにと、俺は今そこにいる彼女に声を投げかけた。

 

「なあ」

「なにー?」

「お湯の量とかってこだわりあったりする?」

「え、ちょっとまってどゆことw」

その返答は俺が想定したものとは違っていたので少しだけ、面食らった表情になっていたと思う。

「ああ、なければいいんだ」

 

キッチンタイマーできっかりと時間を計ってから食べるように育ったので、お湯を注いでからはスマートホンのタイマーを設定し、テレビを見ている彼女の前に見慣れすぎてしまったカップ麺を差し出した。

 

「一応、時間計ってるからまた言うよ」

「あー大丈夫」

 

そういって彼女は全くといってほどけていない毛玉の様なうどんに箸を差し込んだ。

 

「わたしさー一分ぐらいしか経ってないカップうどんをほぐしながら食べるの好きなんだよねー」

 

 

 

 

衝撃だった。中学での一人暮らしを止められてからも、家に一人でいることは多かったので自然とカップ麺を口にする機会は多かったのだが、そんなことをしてみようと思ったことは一度もなかった。調味料を足す、ノリを加える、あるいはお湯を調整する、そういった行為なら分かる。やすやすと理解できる。でも、カップ麺において時間の概念に手が出せる人間がどれほどいようか。

 

「カップ焼きそばは3分じゃなくて2分半で食すべきだ」これもわかる。キッチンタイマーなどを弄る時間を30秒みたということ。

 

「一分ほど早く蓋を開けて食べる」これもわかる。博多ラーメンよろしく、湯で時間の短縮による麺の硬さ調節だ。

 

しかし、お湯を注いでからすぐさま食べ始める、というのは上記二つとわけが違う。なぜなら、上記二つは規定の調理時間というものを意識した上で初めて成り立つものであるからだ。「お湯を注いですぐの麺に箸を入れること」は、わけが違う。

規範とかそういったものが意識にない、つまり、これがパンク?

 

 

 

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これぐらい歌えるようになりたいなあ