読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あくつけき

日記みたいな

「わたしはそれでもいいと思っていたのに」

最近改めて〈人間が好きだ〉と思うにつけて、友達とやらせてもらってるグループで作る歌詞を彼には悪いが自分の経験に根ざしたものを頼りに書いていこうと思った。それは要するに、〈上手く書こう〉とか〈誰かのために〉とかそういった目指すべきことを諦めた一種のくだらない自分語りをやっていこうというものにあたるのだろうが、まあ、そうするのが一番良いものが書けそうだ、といった一種自分の中にあるであろう神話に心を委ねることになる。

 

あの時のこと、この時のこと、そういったことはどれだけ言葉で説明しようとしてもおそらく正しく表現できることはない。ならば、詩にたよって自分の経験を具体性を失わせながらつむぐほうが、良い気がする。それは諦念でもあるのだろうが、マラルメがいっていたように、観念は、そちらのほうが伝わる気もする。

 

それがいいことかはわからない。そもそも俺は、周囲の人間から聞く話に対しては「ああ、それは経験があるな」と思ってしまいがちな人間なので、こんどは逆に俺の経験というものを他人に伝えてみたくなった、ということだろうか。

 

 

 

「わたしはそれでもいいとおもってたのに」と言い残し俺の前を去っていった彼女の声が、4年経っても心に残っている。あの子のように恋い焦がれてくれた人は人生にとってとても貴重だということを忘れて生きてはならない。

 

「わん」

「わん」

「わん」

 

消したツイートのまとめ

ゆがみちゃん読んで初めて知ったけど親から「お前はこの家に住まわせてもらってる立場なのをりかいしているのか?」って言われるの虐待の一つだったのか。まぁ子供の頃言われたことを20年以上覚えてる時点で心には残ってるのね。

 

最近少し虚しく思うのが、元カノたちについてのこと。三人はみな俺に一目惚れで、かつ親に対してのコンプレックスを抱えていたのだけど、彼女たちが一目惚れした理由って俺の容姿とか立ち振舞じゃなくて、「あ、この人私と同じで愛情受けて育ってない!」と共感力でわかったからなんだよね。

 

つまり、恋されていたのは俺じゃなくて、彼女たちが無意識に作り上げたであろう「自分のことを無条件に受け入れてくれるであろう理想の親」であって、俺自身はソレを投影するための道具でしかなかったということ。そこに気付いてあげられたら、もっと優しく出来たり、上手く対応できたはずなのにな。

 

でも仮に「君が好きなのは俺じゃあない。〈欲しくて仕方なかった理想の親〉を俺に見るのはやめてほしい」なんて言ったら一生モノのトラウマになりそう( ;∀;) いやでも、みんな単純に俺の事好きだったのかもな。俺がそう思いたくないだけか

 

 

どれだけ考えてみても俺がそう思いたくなかっただけなんだろうな。好きだという人を見捨てた事実と真実は変わらない。それがどれだけ辛いことかわかっているはずなのに。